エボえもんさんが投稿したプラモデルに関するカスタム事例
2020年04月27日 20時31分
もうおっさんですが、ターボ車はやめられません。 憧れだったエボ。 生産終了の案内されてから、ヤバいと思いディーラーで注文しました。 大事に乗って行きたいです。
フェラーリ643
1991年 F1世界選手権
フェラーリ642で闘うも前年のような成績が残せず、マクラーレンやウィリアムズの後塵を拝することが多く、これに焦ったマラネロはフランスGPよりこの643を投入した。
その643を再現したキットです。
キットは普通のプラモデルではなくウイング、サスペンションにホワイトメタル、ボディにレジンという構成の1/20キットです。
車高の調整とフロントノーズとモノコックの間にすき間があったのでそれを修正したぐらいです。
当時のフェラーリはオイル、燃料共にアジップを使用。
リアウイング貼られたアジップが特徴でもありました。
この643を投入したフランスGPはA.プロストが2位を獲得し戦闘力の高さを見せたもののこの年はついに一勝もすることが出来ずにシーズン終了。スクーデリアフェラーリはこの91年から95年のJ.アレジの優勝まで勝利に見離されることとなる。
カーナンバー28は4年後の95年カナダGPで優勝をしたJ.アレジがドライブした。
G.ヴィルノーブを愛し、走らないフェラーリを力任せにねじ伏せながら走る熱い走りにティフォシーは熱狂した。
同時のフェラーリはシートにも拘っており、他チームの味気ないシートと違いスケドニー社のバックスキンの革を貼り付けてあり、こうしたところにもイタリアチームらしい拘りを見せていた。
製作にあたってはキットのツルツルのシートにティッシュを貼り付けてその上から塗装して再現してみました。
当時フェラーリのスポンサーはマルボロ以外はテクニカルスポンサーしか受け付けないという徹底ぶり。
他のチームと違いマネーだけを入れるスポンサーロゴは一切貼られていません。
この年から日本のパイオニアがテクニカルスポンサーとしてついたことが話題になりました。
この643はデビューしたフランスで2位を獲得しましたが、その後も目立った成績を残すことなくA.プロストに「トラックみたいに遅い」と酷評を受け、発言に怒ったマラネロ上層部は日本GPを前にエースのプロストを解雇するという政治のゴタゴタにも巻き込まれ開発の方向性を失っていました。
成績は残せませんでしたが、この美しいフォルムに「美しき駄馬」とも評され美しいフェラーリの1台に数えられています。
昨今のF1と違い当時どのマシーンも地面とアンダーパネルが擦れた時に巻き上げる火花を散らしながら走っていました。特にバンプがひどいサーキットではそれが顕著でした。
火花を散らしながらサーキットを駆け回るF1マシーンはかっこよく他のレースとは比べ物にならないほどの迫力がありました。