MR2の表六甲ドライブウェイ・再度山ドライブウェイ・メリケンパーク・地震災害に遭われた方々にお見舞い申し上げます・ハーバーランドに関するカスタム事例
2024年01月10日 20時42分
予定のない日はドライブ。
神戸市内を縦横無尽に駆けめぐりました。
表六甲の鉢巻展望台。
神戸の街を一望。
普段はクルマで溢れるスポットですが、今回はガラガラ。
再度山 掬星台にて。
微妙に泥跳ねの跡。
洗車しておけばよかった。
再度山をあとにし、メリケンパークへ。
ここには1995年の阪神淡路大震災の遺構が残されています。
神戸の街を破壊した大地震から今月で29年。
私は1995年の神戸で生まれ、災禍と復興を目の当たりにしながら育ちました。
ひび割れたコンクリートやアスファルト、復興のために止まることのない重機、空き地に敷き詰められたプレハブの仮設住宅。
学校で毎年1月に歌ったのは「傷ついた神戸を元の姿にもどそう」。
長い月日が流れてアスファルトは敷き直され、重機とプレハブの跡には新しい家々と子どもたちが遊ぶ公園が造られました。
震災の傷痕はほとんど残されていません。
それでもこの遺構が残されているのは、あの震災を忘れてはならないからです。
震災で失くした命を偲ぶことは、震災を生き延びた人たちに与えられた特権であり、使命なのだから。
失くした命は、生者の心の中だけでしか生きられないから。
奇しくもこのクルマも1995年式。
震災後29年を生きてきた街と、自分と、クルマ。
震災の記憶が確実に風化しつつある今、私たちに課せられるのは、次世代に語り継ぐこと。
震災の恐ろしさや失ったものだけじゃなく、生まれた絆や教訓を後世に伝え続けなければいけません。
失くした命は戻らない。
だからせめて、今ある命と暮らしを救うために。
ガレキと灰の中から蘇ったマイホームタウン。
二度と立てぬほどに打ちのめされても立ち上がった人たちのお陰で、今の神戸の姿があります。
元日の震災で壊れてしまった能登半島の日常も美しい風景も、たとえ長い道程になっても、いつか取り戻せると信じています。
人の力って、それだけ強いから。