ヴォクシーのチームピンスト・我流ファミリー・納車が待ち遠しいに関するカスタム事例
2021年11月01日 23時11分
チーピンの支部MTに、
行かせていただきました😆
代車で行かせていただきました🤣
この台数の距離を1日中往復すれば
ダイエットに繋がったかな🤣
あとちょっとで、こいつとも
お別れ🤣
誰でしょ〜?爆笑
お茶目なおふたり🤣
誰でしょ〜?
撮る人を撮る📸
撮る人を撮る📸
撮る人達を撮る📸
山登りをして撮ってくれました😆
江戸時代、荒瀬井堰が造られたことによって山国川の水がせき止められ、樋田・青地区では川の水位が上がりました。そのため通行人は競秀峰の高い岩壁に作られ鉄の鎖を命綱にした大変危険な道を通っていました。
諸国巡礼の旅の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、この危険な道で人馬が命を落とすのを見て心を痛め、享保20年(1735年)から自力で岩壁を掘り始めました。
禅海和尚は托鉢勧進によって資金を集め、雇った石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、30年余り経った明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門を完成させました。
寛延3年(1750)には第1期工事落成記念の大供養が行われ、以降は「人は4文、牛馬は8文」の通行料を徴収して工事の費用に充てており、日本初の有料道路とも言われています。
青の洞門は、明治39年から翌40年にかけて行われた大改修で、完成当初の原型はかなり失われてしまいました。
現在の青の洞門には、トンネル内の一部や明かり採り窓などに、当時の面影を残す手掘り部分が残っています。
楽しい1日でした😆