フーガ 51の奈良県橿原市・藤原京旧跡・10月27日(金)・300万本のコスモス・日本初の本格的な都に関するカスタム事例
2023年10月29日 07時16分
熊本県の震災にあった前愛車を2023年4月にギア損傷で廃車( ̄▽ ̄;) またまた全国で探して愛知県豊橋市で79000キロのtypeS見つけ6月に納車(^_^)/ 取りに行った次の週に大雨で水害発生また危なかった( ̄▽ ̄;) (^_^;) 現在匍匐前進で移植中(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回も10月27日(金)にコスモス咲いてるのをバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県橿原市の藤原旧跡(藤原京)の3万㎡の敷地の一角に六種類300万本のコスモスになります(⌒0⌒)/~~
また少しググりました(≧▽≦)
この藤原京(ふじわらきょう)は、今から約1300年前に中国の都城を参考して造営された日本で初めての本格的な都があった所になります(⌒0⌒)/~~
藤原京の大きさは、南北約4.8キロメートル、東西約5.2キロメートルと非常に広く、京域のほぼ中央には、政治の中枢機関であり、天皇が住んでいた藤原宮がおかれました(⌒0⌒)/~~
休日では停められない所でパチリ、平日で良かった( ̄▽ ̄;)
日本初の本格都城『藤原京』を作ったのは、持統天皇で、694年、耳成山・畝傍山・天香具山の「大和三山」が形作る三角形の真ん中に藤原宮を営んだ。 飛鳥からわずか3、4kmほどの距離しかない。 こぢんまりとした土地から、広々とした平野部への都うつりだったそうです(・・;)
藤原京が出来て『大宝律令』が出来て果たした役割は大きい。 以後、法令や官僚体制が整備され、天皇を中心とする中央集権国家の基礎が確立することとなっていくのだ。 しかし藤原京は、わずか16年で廃都となって平城京に遷都しまいます( ̄▽ ̄;)
大和三山の畝傍山もコラボで(≧∇≦)bもう少し前に停めれば良かった( ̄▽ ̄;)
平城京に都を移した理由は色々あり、湧水が起きる沼地が多かったため。ゴミや糞尿の処理が追いつかなくなったため。飢饉や疫病・自然災害が頻発したため。難波津(大阪湾)と都を結ぶ河川の水運の便が悪かったため…等あるそうです(・・;)
また、他にも藤原京のあった飛鳥地方の 豪族の影響を避けるとともに、外交・交通の利便性を重視 し、 また、土木技術はより緻密な測量が可能になっ たことから、高精度設計に基づく理想の都造りを試みたの だとも言われているそうです(⌒0⌒)/~~
今回は10月27日(金)に奈良県橿原市にある藤原京旧跡のコスモスバックに撮りました(⌒0⌒)/~~