RX-7のぼっちFD・腹いせ一人旅・安土城跡観光ガイドに関するカスタム事例
2022年03月01日 21時41分
今回は〜日曜日なのにひとりぼっち😱💦
✨ぼっちFD❣️ 腹いせ一人旅✨ 編
昨年9月以来のぼっちFD🎶
暇人主婦だからいつでも行けそうなんだけど...
実際はなかなかぼっちでは出掛けられない😅💦
で〜なぜ「腹いせ一人旅」なのかというと...
スキーに、置いていかれたぁ〜〜😱😱😱
クソ〜〜😭スキーに、行けなかったぁ😭
何故かって?
それは...地域の自治会の寄合いのせい💢
10:00に開始、10:30には終了💢
💢💢💢
たった30分の為に、スキーに行けなかった💢
ま、愚痴はこれ位で😝
っという事で、久々のぼっちFDです🎶
はい!到着🙌 ここは安土城跡🎶
前日の夜〜
スキーに行く旦那に、私はどこに行こうかを相談!
実はぼっちは苦手😅そしてナビが無くても行けるぐらい、行き慣れたところじゃないと、怖い...😱
いつも出かける先は旦那が行きたい所で、私はただ、付いていくだけ😌だから、旦那に行き先をリサーチしてもらった👍
旦那の提案は、安土城跡✨
この辺りは走り慣れてるので、ぼっちでも大丈夫!でも安土城には行ったことがない😌史跡だかた歩き回れるし、ぼっちでのんびり散策もいいなって、思った👍
Nice! 旦那様❣️
さ、安土城跡散策🎶スタート‼️
入り口を入って直ぐに、ずっと続く階段💦
先週の千葉県鋸山に続き、2週連続の修行です...😅
ここは、大手道✨
左が現在、右が築城当時の様子!
(安土城跡散策後に訪れた安土城考古博物館で展示されていたジオラマと一緒にお届けします😌)
築城当時、大手道の両脇に造られた廓郡には屋敷が立ち並んでいた。広くまっすぐ突き進む大手道は、一説には賓客を迎える道であったそうです。
大手道沿いにあった、
羽柴秀吉邸跡(上)と羽柴邸ジオラマ(下)
大手道沿いには、前田利家邸や徳川家康邸もあったそうです!
大手道の上からの眺め✨
真っ黒ちゃんが写ってます❣️
こんな感じの石階段が延々と続き〜
二の丸跡と、信長公本廟周辺の様子
信長没後、秀吉によってこの二の丸跡地に、信長の太刀、烏帽子、直垂などの遺品が埋葬され、本廟とされた。
黒金門跡
天守側(上)、大手道側(下)
安土城中枢部への主要な門の一つ。
この黒金門より先は、信長が選ばれし側近たちと日常生活を送っていた安土城の正に中枢部で、高くそびえる天守閣を中心に、本丸、二の丸、三の丸などの主要な廓で構成されていた。
本丸御殿跡
本丸御殿には、天皇を招き入れる「御幸の間」があったとされる。のちの調査で、京都御所内の清涼殿と酷似した構造になっていることが判明し、天守の建物と渡り廊下で繋がっていた事も明らかになった。
天守跡(上)と
天守の模型(左下)、天守上層階の模型(右下)
安土城は日本で最初の天守閣を備えた城であっただけでなく、世界初の木造高層建築であり、天守は五層七階(地上6階地下1階)で、高さ33mであった。
しかし本能寺の変から半月ほどで、築城からわずか3年で焼失してしまう。信長がこの安土城で暮らしたのは、わずが2〜3年ほどであった。
天守跡周辺から石階段を降り〜
また登って〜
摠見寺(そうけんじ)本堂跡
安土城築城の際、信長が他所より移建し、自らの菩提寺にしたと伝わる。
本能寺後の火災では難を逃れたが、それから300年ほどのちに、火災により本堂を焼失してしまった。
寺宝として、信長の陣羽織が伝えられている。
摠見寺跡地からの眺め✨
琵琶湖が美しく眺められる😌
摠見寺三重塔【重要文化財】
三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の1454年に建立され、信長が甲賀の長寿寺から移建したものとされている。
上の写真の赤矢印の場所から上に眺めた図!
塔の直ぐ脇に階段がある為、2重目、3重目を間近に見ることができる👍
摠見寺仁王門(楼門)【重要文化財】
1571年建立で、三重塔同様、信長により甲賀から移された。
屋根は入母屋造り、本瓦葺き。門内には金剛力士像が安置されており、同じく重要文化財である。
ここは安土城跡散策の帰り道🙌
趣ある小道を名残惜しく進んで、散策終了😌
ゆっくりのんびり1時間の散策でした🎶
さて、安土城跡の散策を終え、真っ黒ちゃんで周辺をドライブ🚗💨
向かったのは、安土城考古博物館🙌
奥に見えるのが博物館の建物✨素敵でしょ😉👍
Tpo画もこの博物館です🎶
旧安土巡査駐在所✨
可愛い建物!😍
旧柳原学校校舎✨
趣ある、ロマン溢れる校舎だこと😍👍
こういう雰囲気が大好きだわ❣️
真っ黒ちゃんを停めて、次に訪れたのは〜
安土城考古博物館🙌
安土城築城当時の周囲の様子✨
現在は干拓により四方とも陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ、南方だけが開けた地形であった。
わずか3年で我が国で初めて天守閣を持つ安土城が一応の完成を見た。
しかし築城からわずか3年の後に本能寺の変により信長が自刀。混乱の中、天守などを焼失して一夜にして落城した。
信長を描いたとされる画像や木像の数々😌
こんなにあるのねぇ😅
木の年輪の様なステンドグラスと安土城の解説が、とても心に響いた😌
まさに歴史ロマン✨
お次は「信長の館」✨
先に紹介した天守閣の模型の赤矢印の最上階が原寸大で復元されています🙌
ここも旦那チョイス🤗 Nice👍
それでは行ってみよう🎶
注)写真撮影🆗でしたが、よく見ると...
「復元建築には著作権あり、SNSはご遠慮を」💦
という事で、モザイク画にて雰囲気だけ😅💦
信長の館では安土城天守閣の最上部が復元されており、内部を含め、それはそれは豪華絢爛✨
入り口すぐに、信長、秀吉、家康の鎧が展示されていました😉👍
私の勝手なイメージ
信長:洗練されたハイセンス✨
秀吉:ド派手💦
家康:堅実、実用的!
鎧もお城も、こんな感じに思う😌
天守5階 天界をイメージした黄金の間✨
総朱漆塗りの外陣は、柱も壁も床も全てが朱赤‼️内陣は金箔の壁と釈迦説法図の襖絵で飾られ、仏教の世界観による理想郷が表されている。
八角形の内陣の中央には2枚の畳が置かれ、最上階6階に続く階段が設置されている。
5階から6階にかけての外装✨
5階の屋根は発掘された当時の瓦をもとに再現された「庇屋根」、6階の外壁には10万枚の金箔が使用され、最上部の大屋根には金のシャチホコが飾られている。
最上階6階の内部✨
狩野永徳によって描かれた「金碧障壁画」が再現されている。内部は正方形でここも中央に2枚の畳が置かれている。
ここは黒の漆と金箔のバランスが素晴らしく、豪華でありながら洗練された美しさを感じることができます👍
ホント美しかった✨
安土御献立 復元レプリカ
「5月15日おちつき膳」
武田勝頼討伐で功を成した徳川家康をもてなした時のメニュー。この時の接待役が明智光秀。光秀は家康の接待に最大の心配りをしたが、信長は「やり過ぎだ!」と激怒。接待が終わった5/19に重役を解任され、5/22は秀吉の援護を命じられた。この仕打ちが原因で6/2に本能寺の変を引き起こしたとされている。
めっちゃ豪華、絶対に食べきれないと思うわ😱💦
以上、腹いせ一人旅!安土城跡散策でした😌
大満足!ぼっちでのんびり散策できました👍
さ、ガッツリ腹いせできたので、帰りましょ🚗💨
せっかく琵琶湖に来たから、いろいろ寄って〜
あのベンチ🌿
琵琶湖を望んで①✨
琵琶湖を望んで②✨
〆は、大好きな国宝 彦根城🏯
スキーには行けなかったけど、とっても充実したぼっちFDとなりました😉👍大満足✨
旦那御一行様は、結局また吹雪にやられ、旦那と娘は午前中でダウン😱昼からは一気に晴れて、息子とお友達はしっかりスキーを楽しんだらしい🎶
「写真撮ってきて!」って旦那にお願いしたのに、午前中の吹雪で意気消沈😖一枚も撮ってないとの事😩
おぃ!😅💦
スノーシーズンはもう少しなので、2月にあまり行けなかった分を取り戻すぞ🙌