フーガの奈良県吉野郡東吉野村・丹生川上神社中社・水を司る神に関するカスタム事例
2020年10月08日 07時23分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
雨スタートの朝になりましたね( ̄▽ ̄;)
このまま気温が上がらず寒いままらしいので( ̄▽ ̄;)
風邪引かないようにしてくださいね(≧∇≦)b
今回は10月4日日曜日に斜張橋をバックに撮った後に場所は奈良県吉野郡東吉野村にある丹生(にゅう)川上神社中社をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
実はこの中社の前に丹生川上神社上社にも寄りましたが(^_^;)
結構人が多くて( ̄▽ ̄;)
車と撮るのを断念し、オカンが中社に行きたいと、私も中社は久しく行って無いので来ました(≧∇≦)b
ちょい悪おちりで本殿見えませんが( ̄▽ ̄;)
丹生川上神社中社は、白鳳4年(675年)、天武天皇創建。
祭神は、水に関する一切をつかさぞる罔象女神(みづはのめのかみ)。
神武天皇が、戦勝祈願した地という伝承や天武朝以降、たびたび行われた吉野行幸の離宮後地説もある神社です(o^-')b !
当神社の御祭神「罔象女神(みづはのめのかみ)」は、水一切を司る神様で水利の神として、又は雨師の神として信仰され、五穀の豊穣に特に旱続きには降雨を、長雨の時には止雨を祈るなど、事あるごとに心からなる朝野の信仰を捧げ、水神のご加護を祈ってきたそうです(⌒0⌒)/~~
木でナンバーを隠す(⌒0⌒)/~~
うちの会社も水害で施設が被害に遭わないように祈願してもらってます(⌒0⌒)/~~
今を去る事千三百三十年余り前、第四十代天武天皇白鳳四年(675年)「人聲の聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨(長雨の事)を止めむ」との御神教により創祀せられ、雨師の明神、水神宗社として朝廷の崇敬は殊の外篤く「延喜式」(927年)には名神大社に列せられ、又平安時代中期以降は、祈雨の神として「二十二社」の一つに数えられました。
祈雨には黒馬を、止雨には白馬又は赤馬を献じ朝廷の特に崇敬する重要な神社です(⌒0⌒)/~~
763年より応仁の乱の頃までは朝廷よりの雨乞い、雨止めの奉幣祈願が九六度されていることが記録にみられることからも当社がいかに重要な神社であったかが伺えます。しかし、都が京都に遷り戦国時代以降はそのような祈願も中断され、丹生川上雨師明神社もいつしか蟻通神社と称され、ついには丹生川上神社の所在地さえ不明となってしまったそうです(・・;)
明治維新となり、丹生川上神社は何処かという研究調査が行われ、明治四年丹生村(下市町)、続いて明治二十九年川上村の神社が、夫々有力視され官幣大社丹生川上神社下社、上社とされました。蟻通神社こそが丹生川上神社だと大正十一年、当村出身の森口奈良吉翁の精緻な研究調査により丹生川上神社中社として官幣大社に列格され、ここに従来の二社は三社になったが、官幣大社丹生川上神社としては一社であります(・・;)
そこでこの神社の社務所を当社に移して、下社、上社を統括して祭務を行ってきましたが、戦後神社制度の変遷により今日では三社別々の神社となったが、当社は「丹生川上神社」と登記されてます。それで三社あるんですね(o^-')b !
参拝しようと本殿へ行ったら参拝客の祈祷が始まる所でしたので、祈祷中の参拝もなんだし、祈祷のお裾分け頂いてから参拝しました(⌒0⌒)/~~
参拝終えて社務所で御守り買って(o^-')b !
大きな杉の神木があり威圧感半端なかったです( ̄▽ ̄;)(笑)
境内での車の撮影は社務所の人に撮影許可頂いてから撮ってます(⌒0⌒)/~~
今回は10月4日日曜日に奈良県吉野郡東吉野村にある丹生川上神社中社の境内内から本殿をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~