RX-7の関ヶ原史跡巡り・その4!・cafe miraiに関するカスタム事例
2024年10月01日 20時11分
関ヶ原巡りも大詰め‼️
✨関ヶ原の戦い 史跡巡り✨ その4
関ヶ原古戦場の史跡巡りも4回目😌今回はまだいけてない史跡を中心に巡ってきました🙌
高速を養老SAで降り、まずは南宮山の麓から〜
【池田輝政陣跡】
関ケ原合戦では、南宮山の西軍諸隊を抑える重要な役目を担ってここに布陣しました。
戦後は姫路藩初代藩主として姫路城を現在残る姿に大規模に修築します。
織田信長の重臣 池田恒興の次男で、徳川家康の次女督姫(とくひめ)が継室。
続いて朝倉山真禅院の駐車場にて
ここは関ヶ原町のお隣、垂井町ですが、関ヶ原古戦場史跡案内図と吉川広家陣跡と案内板がありました😌
【朝倉山真禅院】
朝倉山真禅院は、寺伝によれば739年に行基菩薩が創建した天台宗の古刹。美濃国一の宮 南宮大社の元神宮寺にて、十一面観音霊場として昔から親しまれている。
関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失。再建は3代将軍徳川家光により実施され、寛永19年(1642年)に完成。これが現存する南宮大社の社殿群である。
その後明治元年(1868年)の神仏分離により、南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築され、朝倉山真禅院として再出発した。
【重要文化財】本地堂
入母屋造瓦葺き、妻入り(屋根が三角形に見える側を正面とする)の仏堂。寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築された。2015年から2018年にかけて本地堂の修理が行われた。
【重要文化財】三重塔
寛永19年(1642年)建立。明治初年に南宮神社境内から移築された。構造は三間三重婆、本瓦葺き。長押などに極彩色の文様がある。1982年から1984年にかけて三重の塔の修理が行われた。
【重要文化財】梵鐘
この梵鐘は無銘ではありますが奈良時代に奈良の地でつくられた梵鐘で、東海地区最古の鐘とされる。
この梵鐘は長年つかれてきたせいで、割れる恐れがあることから、現在はつくのを控えられている。
護摩堂(左上)、釈迦堂(右上)
薬師堂(左下)、観音堂(右下)
こじんまりとした寺院ではありますが、三重塔と鐘楼がとっても素敵でした😌
【吉川広家陣跡】
関ヶ原合戦では西軍に属し南宮山に布陣しますが、敗北を予想し、主家の存続を第一に考えて東軍に内通、毛利秀元の参戦を阻止します。
合戦後も毛利家存続のために奔走しますが、広家の思惑ははずれ、毛利氏は大幅に領土を削減されます。
広家は、周防など3万6千石の領主となり、岩国を本拠地としました。
お次はちょっと早めのお昼🙌
Pizzeria Cypress さん✨
美味しかったです👍
【浅野幸長陣跡】
浅野幸長は、五奉行・浅野長政の長男で豊臣家とは親戚関係。秀吉の死後、五奉行の石田三成と対立、石田三成襲撃事件に参加。
関ケ原の戦いでは、豊臣秀吉恩顧でありながら父長政と共に東軍に参加し、先鋒を務め岐阜城攻略。
本戦では、現在の垂井一里塚近くに布陣し、南宮山の毛利軍に備えた。
ここまでが南宮山の麓(垂井町)にある史跡!
東軍が勝利した要因として最も有名なのが小早川の裏切りですが、ここ南宮山に布陣した毛利・吉川軍が動かなかったのも東軍勝利の大きな要因でしょう。
さ、少し走って関ヶ原町のまだ行けてない史跡を巡りますよ🚗💨
まずはここ🙌 春日神社⛩️
この神社の境内には「福島正則陣跡」があます。また樹齢800年の「月見の宮大杉」がそびえたち、その姿は関ケ原合戦図屏風にも描かれています。
神社の向かいに駐車場があるので、そこに真っ黒ちゃんを停めて、徒歩で近くの史跡を回りました😌
旦那はFDでお昼寝中!😴
【福島正則陣跡】
福島正則は、秀吉子飼いの大名でありながら関ケ原の戦いでは東軍に参加しました。三成嫌いで知られ、その敵意を家康に利用され東軍に加わることを決意しました。
合戦では春日神社辺りに着陣。家康に先陣を約束されていたにもかかわらず井伊隊が先に発砲し開戦、それに続き福島隊は宇喜多隊に襲いかかったとされています。
【藤堂高虎・京極高知陣跡】
現在の関ケ原中学校付近に陣を構えたとされる藤堂・京極の両隊。合戦時には、福島正則隊に続いて東軍第2陣として進軍しました。開戦すると、両隊は平塚為広隊と交戦、午後には小早川隊と共に大谷吉継隊を破りました。
【西首塚】
「東首塚」と同様、当時この地の領主であった竹中重門が徳川家康の命により、関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬しました。東は東軍関連、西は西軍関連の首塚とする説もあります。
史跡散策中、関ヶ原らしいものを見つけパシャリ😌
ちょっとお昼が物足りなかったので、早目のおやつタイム!☺️
こちらのお店、関ヶ原に行く日にお休みのことが多く、めっちゃ気になってるのにまだ行けてなくて〜
今回やっとお茶することができました🙌
cafe mirai さん✨
緑に囲まれた広い敷地の奥ににオシャレな建物がありました✨店内の造りもとっても素敵で窓が大きく、敷地内の緑を眺めながらゆっくりくつろげる空間です😉👍
今回はこちらをチョイス🙌
デザートプレート🍰
豪華でしょ!✨
6種類のデザートが乗って、可愛らしくデコレーションされた、なんとも魅力的な逸品😉
店内の雰囲気や窓からの眺めと相待って、とっても美味しく優雅なひと時を過ごせました☺️
ここはまた絶対来たい!
営業日をチェックしてリピしよう🙌
そしてお決まりの古戦場記念館🙌
なんと言っても、年パス持ってるからねぇ🤣👍
エントランスの雰囲気😉
下の壁画は徳川と石田の家紋が向かい合い、矢が飛び交うイメージでしょうかねぇ😌
こちらのかっこいい垂れ幕✨いいでしょ!
下の武将イラストは、この記念館の入場チケットの図柄です🙌全部集めたくなっちゃよね🤭
いつも通り2つのシアターを見て展示室に向かうと...
衝撃の案内板が😱😱😱
展示室が、すべて閉鎖💦
マジかぁ...😭
合戦屏風で福島陣の大杉を探したかったのにぃ〜😭
まぁ私達は年パスだからまたこればいいけど、遠くからわざわざ訪れた人は残念で仕方ないと思う💦
っと言う事で記念館の滞在30分ぐらい😅
時間がちょっと余っちゃったので、最後に行けてない陣跡へ行ってみることに!
この陣は徳川家康最初陣のすぐ側なんだけど、大通りから1本入ってて、分かりにくい😱
でも見つけて脇道にそれてみると、とっても素敵な松並木でした🎶そして中山道関ヶ原宿の案内板もあって、来れてよかったぁ☺️
【山内一豊陣跡】
一豊は関ケ原の戦いに際し、居城の掛川城を明け渡して出陣。岐阜・大垣の兵と戦い、野上に入ると、一豊らは一里塚より桃配山までの間の中山道左右に陣を置き、南宮山の敵に備えました。
その後、南宮山の隊に東軍攻撃の形勢がないため、家康の命令を受け、山内隊は有馬・蜂須賀の隊と共に前進して戦いました。
一豊は関ケ原の戦いで大きな武功はなかったのですが、合戦前の城を明け渡しにより、家康の信頼を得ていたために土佐の国主となっています
【竹中氏陣屋跡】
豊臣秀吉の名軍師であった竹中半兵衛の息子重門が築造した陣屋跡で、白壁の櫓門、がっしりとした石垣が残っており、旗本では珍しい城郭建造物です。
重門は関ケ原の合戦で同じく秀吉の名軍師であった黒田官兵衛の息子黒田長政とともに陣を構え、東軍として参戦しています。
ここ、地元のお友達に「門しかないよ!」って教えてもらってましたが、訪れてみたらとっても立派な門だったので奥にも少しぐらい史跡があるのかと思ったら〜
門をくぐって直ぐに幼稚園があり「私有地にて立ち入り禁止」ってなってました😱💦
ホント、門だけでびっくり‼️
最後はいつものヒマラヤ本店のアウトドア館に寄って、キャンプグッツを少し購入🙌
4回に渡って関ヶ原古戦場巡りをして来ましたが、遂に主だった史跡を回り終えました☺️
歴史の大きな分岐点、多くの戦国武将の思惑が複雑に絡み合い、様々な逸話が残る関ヶ原の地。そんな場所をじっくり回ることができて大満足です😉👍
古戦場記念館の年パスがまだ半年ぐらい残ってるので、近いうちにまた関ヶ原を巡りに来ましょう😌