フーガの奈良県宇陀市・宇陀松山会館・重要伝統的建造物群保存地区「宇陀松山」・城下町に関するカスタム事例
2020年10月20日 07時47分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今朝は日差しが差したなぁ~と思ったら西から雲が( ̄▽ ̄;)
西側では霧が発生しています( ̄▽ ̄;)
奈良県だけかも知れませんが運転気を付けてくださいね(≧∇≦)b
今回は10月18日(日)にタイムスリップしたかの様な町並みに来て撮ってみました(≧∇≦)b
場所は奈良県宇陀市になります(⌒0⌒)/~~
前回に曽爾村から松阪へ向かうルートを走ってたんですが(^_^;)
御杖村の道の駅まで行ってUターンしてここに来ました(⌒0⌒)/~~
この建物は宇陀松山会館と言ってこの宇陀松山の歴史資料館になります(⌒0⌒)/~~
この宇陀松山会館をはじめ町一帯が城下町で重要伝統的建造物群保存地区「宇陀松山」になります(⌒0⌒)/~~
明治36年に建てられた旧松山町役場を改修して宇陀松山会館として生まれ変わったそうです(≧∇≦)b
この資料館は無料で中に入って見てきました(⌒0⌒)/~~
松山城の鯱が展示されていたり、松山城の歴史や発掘調査などのDVD等観てから、管理人さんに『車をバックに建物を撮らせて欲しい、駐車場で車を何回か動かしますけど』とお願いして何枚か撮らせて頂きました(⌒0⌒)/~~
宇陀松山は戦国時代に国人領主秋山氏により築かれた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長配下の大名により現在の町並みの原型が形成され、地名が阿貴町から松山町に改められたとされるそうです(≧∇≦)b
関ヶ原の戦以降は織田信雄以後4代の支配を経て1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄え、明治時代になっても宇陀郡役所や裁判所がおかれるなど地域の中心として発展し、昭和40年代まで賑わったという歴史をもつそうです(⌒0⌒)/~~
当時、近世初頭の敷地割と江戸時代から明治時代の商家が数多く残る中心街は、宇陀市の都市計画によって定められた伝統的建造物群保存地区であり、宇陀松山伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています(⌒0⌒)/~~
他にも撮りたかったですが、なんせ日曜日の昼過ぎでしたので(^_^;)
また人の少ない時間に来て色々撮りたいと思います(⌒0⌒)/~~
今回は10月18日(日)に奈良県宇陀市の宇陀松山会館をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~