718 ケイマンのポルシェ・誕生寺・日蓮聖人御降誕800年・天津小湊に関するカスタム事例
2021年07月28日 12時53分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
鴨川市天津小湊にある誕生寺にて…
718ケイマンと😊
こちらは誕生寺の総門です。
誕生寺は、日蓮聖人の直弟子・日家上人が建治2年(1276年)に日蓮聖人生家跡に堂宇を建立し、高光山日蓮誕生寺としたのが始まりとされています😆
その後、何度かの天災を受け、宝暦8年(1758年)の大火では、仁王門を残して焼失してしまい、日蓮聖人を安置する祖師堂は現在の地に移り、小湊山誕生寺と改称されたという大変由緒あるお寺です‼️
もう本当に立派なお寺です。
両側の石燈籠がずらっ〜と奥まで続いており、めっちゃ雰囲気あります😆
こちらは仁王門ですね。
すごい重厚感があります😊
誕生寺の公式サイトによると…
『日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した。その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇瑞」が伝えられている。
聖人は幼名を善日麿といい12歳までこの地で暮らした。文永元年(1264)聖人は母梅菊の病を祈願し蘇生させる。延命した母梅菊はそれを記念し、「菩薩荘厳堂」を創建。その後直弟子日家上人が建治2年(1276)10月、聖人生家跡に一宇を建立し高光山日蓮誕生寺と称したのが当山の始まりである。
明応7年(1498)、元禄16年(1703)の2度の大地震、大津波の天災にあい、その後現在の地に移る。26代日孝上人は水戸家の外護を得て七堂伽藍を再興し、小湊山誕生寺と改称す。しかし、宝暦8年(1758)の大火により仁王門を残し全山を焼失。49代日闡上人が弘化3年(1846)現在の祖師堂を再建し、当時関東随一と称された。
また、国守里見家、正木家より御朱印を賜る。明治に入り大正天皇御幼少時、病弱の為病気平癒の御祈願を行った。
昭和から平成にかけて、50万人講を発願し諸堂を復興し、平成4年5月落慶式を行う。現在日蓮宗の大本山として全国信徒の参拝の地となっている。』
今年は〜
日蓮大聖人御降誕800年という記念すべき年のようです🤗
こちらが祖師堂です。
日蓮聖人像を安置してところですね。
1842年(天保13年)建立とのことです🤗
こちらは日蓮聖人の御幼像です。
お顔は誰がこういうお顔だったと言って造ったのでしょう😅
こちらが鐘楼です。
鐘楼からは天津小湊の海岸が見えます🤗
石燈籠の裏にあるので斜めにしか撮れませんでした😅💦
大変由緒あるお寺で参拝した後は清々しい気分になりました😊
ココは誕生寺から目と鼻の先にある鯛の浦遊覧船乗り場です🤗
今回は乗っていません。
遊覧船のサイトによると〜
『天津小湊は、日蓮聖人ご誕生の地。
この鯛の浦の鯛は日蓮聖人がご誕生した際に起こった不思議なでき事の一つ
鎌倉時代から村人はずっと鯛を「日蓮聖人の化身」と神聖し守ってきました。
深海でしか見れない鯛
謎多き不思議な鯛
数々の困難を通りながらも住み続けている「神秘の鯛」
鎌倉時代から続く不思議な出来事をあなたの目でご覧ください。
きっと不思議な体験に驚く事でしょう。』
要は、遊覧船に乗ると船から餌をまいてくれ、鯛が群がってくるということです🤣🤣🤣