718 ケイマンのポルシェ・虎ノ門 金刀比羅宮・一生に一度はこんぴらさん・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年07月15日 05時12分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
2日連続の神社仏閣⛩シリーズ❗️
第65弾です😊
第100弾まであと35…
投稿もあと183回あるから充分達成出来そうですね〜😸
昨日の福徳神社⛩に続いて、本日もビル群に囲まれた…
いやビル群に護られた神社です😊
こちらは、虎ノ門にある「虎ノ門 金刀比羅宮」です❗️
立派なのぼりが立っています。
国道1後線沿いの大鳥居⛩です😊
ビル群の中で堂々とした貫禄のある鳥居です。
琴平タワービルと同化しているような感じがしますよね。
大鳥居⛩の横には金刀比羅宮の社号碑が、ドーンと建てられています😄
大鳥居⛩をくぐり右手の案内板💁♂️には…
『虎ノ門 金刀比羅宮縁起
当宮は虎ノ門 金刀比羅宮と稱し東国名社の一
創祀は万治三年(一六六○)讃岐丸亀城主京極高和の時邸を愛宕下に移し
同時遷座 延寶七年(一六七九)なり
爾来御神威愈々広く
大衆の信仰として親しまれ
豊漁万帆 海陸安穏 福徳守護の御神徳は当宮の
御神紋丸金と共に益々篤きものなり』
とありました😊
「虎ノ門 金刀比羅宮」の公式HPによると💁♂️…
『当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。
爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。
大物主神(おおものぬしのかみ)
大国主神(おおくにぬしのかみ)と少名彦神(すくなびこなのかみ)が国造りの際、事を為す前に少名彦神が海の彼方の常世の国に渡ってしまい大国主神が嘆いていたところ、遠い沖合いから海原を照らして光り輝きながら近寄ってきた、その神様が大物主神です。
大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様で、後に 和光同塵(わこうどうじん)の御神意をもって讃岐国の金刀比羅宮(本宮)に顕現されました。
『日本書紀』では大国主神の異称として、『古事記』では大国主神の和魂(にぎみたま)として記されています。
大物主神とは「大いなるモノ(神霊)」、すなわち「神々の中でも最も偉大なる力を持つ神」という意味の神名であり、海陸安穏・五穀豊穣・万民泰平、国や人々に平安をもたらしてくださる神様です。
また、一説に運を掌る神とも伝承されております。
崇徳天皇(すとくてんのう)
崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられました。
保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさっていました。
長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられております。
46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなりました。』
はぁ〜長い😅💦💦💦
参道というのか、琴平タワービルの敷地というのか、金刀比羅宮の境内というのか…
公式HPで見ると、琴平タワービルも境内に含まれていました😆
こちらは銅鳥居⛩です。
『文政四年(1821年)に奉納された明神型鳥居で左右の柱上部には四神の彫刻が施されており大変珍しいものです。
四神とは四方の守護神であり、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武が守る霊鳥霊獣です。
平成十三年(2001年)に港区指定有形文化財・建造物として指定されました。』とあります😆
もう少し寄ってみると…
向かって左上には「東を守護する青龍」
左下には「北を守護する玄武」
右上には「南を守護する朱雀」
右下には「西を守護する白虎」
が鳥居に飾られているんですよ😊
🐉や🐢、🐅や🦅が精巧なんです❗️
銅鳥居⛩の横の説明には💁♂️…
『この銅鳥居は、虎門外の讃岐丸亀京極家(約五万石の大名)の江戸屋敷に勧請された金毘羅宮(現金刀比羅宮)の鳥居です。
文政四年(一八二一)十月に奉納された明神型鳥居で、「金刀比羅大神」の扁額が掲げられています。
円柱には青竜・玄武・朱雀・白虎の霊鳥・霊獣が飾られ、下部には奉納関係者の名前が刻まれています。
願主・世話人の多くは芝地域の商人と職人でしたが、江戸市中の地名・人名もみられます。』
横には石柱がありますが…
これは「百度石」といわれるものです😊
『正面に「百度石」、背面には「大願成就」の銘があり、心願が叶えられたお礼に建てられたものであることが分かります。
こうした百度石が保存されているのは港区内では非常に珍しく貴重であり、平成九年(1997年)に港区文化財総合目録に登録されました。』
とそれぞれ説明されています。
こちらが、社殿です😄
HPによると💁♂️…
『先の戦災により焼失してしまいましたが、昭和二十六年(1951年)に拝殿と幣殿が再建されました。
ともに総尾州檜造り、銅板葺きの権現造りです。
日本最初の建築史家、伊東忠太氏の設計校閲による建物で、我が国古来の建築技法が随所に用いられています。
平成十三年(2001年)に東京都選定歴史的建造物に指定されました。
尚、幣殿の奥に位置する本殿は昭和五十八年(1983年)に再建されました。』とありました。
ビル群に負けていない堂々たる造りですね👍
金刀比羅宮境内には、二つの境内社がありました。
右の赤い⛩が「喜代住稲荷神社」で、奥の小ぶりな社が「結神社」です😊
境内社の一つ…
「喜代住(きよすみ)稲荷神社」です😊
この稲荷神社の由緒などの詳細は不明ですが、稲荷神社ですから稲荷神🦊が祀られているわけですよね。
金運の神様として、虎ノ門のビジネスマン達の信仰を集めているらしいです😆
境内社のもう一つ「結(むすび)神社」です😊
HPによると💁♂️…
『本殿向って右側にある二つの小さなお社。
その左側が「結神社(むすびじんじゃ)」であります。
その縁起は定かではありませんが、江戸時代、良縁を求める多くの女性により厚い信仰を集めていました。「新撰東京名所図会」にも当時の華々しい一面が記されております。
その頃、良縁祈願に訪れた女性たちは、この結神社の前で自らの黒髪を一部切り取り、或いは折り紙を持参し、社殿の格子や周りの木々にそれらを結わい付け良縁を願い、成就させました。単にお参りするに留まらず、体の一部や心を込めた品物を神様に奉納する事で、その真心を形に表したのです。同時に「縁を結ぶ」と「物を結ぶ」を掛けたのかもしれません。
それから三五〇年余り、今の世にこの伝統的祈願を故実に則り再興致します。』とあります😆
社の左側に赤い紐が無数に結んでありますが…
授与所にて800円で「良縁祈願セット」なるものを受け、そこに付いている赤い紐をこちらに結びつけて祈願するようです。
なんか、ちょっと怖い気もしますが😅💦💦💦
手水舎は2カ所設置されており、両方とも青龍🐉の口から手水が出ています😄
こちらは裏鳥居⛩になります😊
さて、香川県琴平町の「金刀比羅宮」は昔から…
『一生に一度はこんぴらさん』と言われるほど大人気スポットだったそう。
お参りに行けない人は、樽の中に参納の品などを入れ、のぼりをつけて海に流し、自分の代わりに金刀比羅宮にたどり着くことを願ったほど。
この「こんぴら樽」を漁師が見つけると縁起が良いとされ、拾って代参する習わしもあったんだとか😵
そんな夢のようなスポットだったんですね〜
金刀比羅宮は🤣🤣🤣
1660年に参勤交代のため讃岐国丸亀藩からやってきた藩主である京極高知が、江戸に長期滞在している間も金刀比羅さんをお参りしたいということから江戸に金刀比羅さんを造っちゃったわけですから…
どんだけ凄いところかってところですよね❗️
金刀比羅宮に参拝しないといられなくなるほどの中毒性の高いところだったのでしょうか😆
香川県の本家本元には行ったことがありませんが…
「虎ノ門 金刀比羅宮」は一生に一度は行きましたからね👍