スパイダーのアルファロメオ・自粛生活に関するカスタム事例
2020年04月28日 01時10分
5年半、いろいろありましたがミザノブルーのスパイダーからアイスホワイトのジュリエッタに乗り換えました!!なんと人生初のマニュアル!!お手柔らかに🤝
みなさまこんばんは。
突然ですが、今日は私の愛車、アルファロメオ スパイダーの紹介をしたいと思います!
めんどくさい方は、写真だけお楽しみ下さい笑
あたらめて調べるのもアレなんで、今記憶している内容で投稿します、、間違いに気づいたらその都度直します、、
2008年式 アルファロメオ アルファスパイダー 3.2JTS Q4 Qトロニック ディスティンクティブ 長い、、
2006年〜2011年の5年ほどしか生産されず、マイナーチェンジもなく、後継車種もないまま生産終了になりました。
アルファ スパイダーの歴史は古く、1955年誕生のジュリエッタ スパイダー、ジュリアスパイダーも含めてよいとODA会長からお達しが出ました。今や4桁に届こうかという高値で取引されております。そしてジュリアベースながら車名のスパイダーとして独立した1966年から1994年まで30年近くに渡り生産された105&115系、1996年から2006年の916系、そして私の939系へと受け継がれてきました。とは言っても、時代ごとでその成り立ちは違い、916はGTV、939はBRERAのそれぞれ派生版であり、専用開発された車ではないところに、近年のアルファロメオ社の経営状態を窺い知ることができます。
BRERAは、3ドアの流麗なファストバックで、ジウジアーロの手によるデザインです。
それをベースに、ピニンファリーナが屋根を切り取り、後ろ半分を全く別の車といっていいほどの『スパイダー 』に仕立て直しました。
ご存知の方も多いと思いますが、ピニンファリーナはフェラーリなどのデザインだけでなく、クローズドボディの車をオープンボディに換装するのが得意なカロッツェリアとして有名ですね。
ハッチバックのプジョー306を、クーペスタイルのカブリオレに仕立て直した時は、度肝を抜かれました。
ピニンファリーナは、50〜60年代の名車、ジュリエッタ /ジュリア スパイダー のデザインを踏襲し、ノーズからウィンドウまで直線で来たラインを、一度盛り上げてから後端まで流すという手のかかる造形を50年後に蘇らせました。
と、ここまで来て、ならばもっとスパイダーは街に溢れていてもよいのでは?という話になりますね。
ここからはややネガティブな話題に。
経営不振から既に80年代にフィアット傘下にあったアルファロメオは、159/BRERA/スパイダーに、GMとフィアットが共同開発したプラットフォームを使用せざるを得なくなり、シャーシはオペルベクトラと共用、エンジンのシリンダーブロックもGM製と、中身としてはおよそアルファロメオとは言い難いドイツ、アメリカの混血車だったこと、ボディが156時代よりも大型、重量化したことで本来のアルファロメオファンからは評価が決して高かったとはいえないモデルでした。
が、しかし、そんなことはどうでもいいのです!!
中身はどうあれ、当時のジウジアーロ、ピニンファリーナが魂と一流のセンスを込めて作ったであろうポルトローナフラウ社製のネイビー×タバコブラウンのレザーシートに身を沈め、アドリア海沿いの街ミザーノをイメージしたミザーノブルーの深い輝きを眺め、3.2ℓV6エンジンが奏でる重厚なサウンドを聴きながら、まだ今のところすれ違ったことのない、国内現存200とも言われる939スパイダー(幌は電動で開かないけど)を毎日流すのが、大好きな私です🎵
以上、長くなりました&夜中に失礼しました、、