レガシィB4のいつもいいね&コメントありがとうございます・前の愛車・事故には気をつけよう・事故・キリの整備記録簿に関するカスタム事例
2022年12月29日 19時57分
レガシィB4 RSKリミテッドに新車から22年目(2024年時点)ワンオーナーにて乗っております!😆 カスタムから日常も含めて投稿していきます♪😊 宜しくお願い致します♪
キリです。
この時期になると、とある事を思い出します。
今日は少し真面目な思い出話をしたいと思います。
これは、少しでも多くの方に私と同じ過ちをしてもらいたくないという思いからです。
今日は文章多めなのと長いですので前編後編に分けての投稿しますのでご了承を🙏🙇🏻♂️🙇♀️🙇
※※この投稿は決して良い話ではありません‼️
この話は前の会社の後輩に駄目な経験として話をしていました。
それは、21年前の12月30日の夜中
※12月31日に日付は変わり大晦日。
当時私は写真のレガシィB4C型 ATグランブルーマイカに乗っていました。
sti のダウンスプリングでマフラーはサイレンサー無しでストラットタワーバーとリアのD型の補強?なんてつけて、まぁ調子こいたカスタムでしたね・・・
写真が無いのとこのカスタムで当時の私の状況をお察し出来ると思います。
あの頃はバブルが弾けて毎日夜中まで働くなんて当たり前の時代。
私も毎日朝早くから夜中まで働いていました。
結婚してすぐであったのと嫁のお腹の中には長男がいて、臨月となっていた時期です。
※翌1月末に無事産まれる。
その為、嫁は栃木の実家に先に里帰りしていたのです。
そう、今年と同じで29日まで働いて30日から冬休みだったのですが、私は死ぬ程疲れていたので日中含め寝まくり、起きたのは夜21時位。→19時間位寝てた事になる。
若いって凄いですね・・・
若かった私は前に紹介した古いBMWからB4の様な速い車になった訳で、それはそれは運転も酷く仕事帰りは夜中に首都高を運転技術も無いのにかっ飛ばすのは当たり前でした。
※イメージ写真
夜中なら高速も空いているので、当時住んでいた東京から嫁のいる栃木まで帰る事に。
準備して出発は23時位だったと思います。
首都高の高樹町から乗り、芝浦の方へ。
当時の事を知っている人なら分かるかと思いますが、まだ山手トンネルも無く5号線からも東北道には乗れないので箱崎を通るしかありません。
乗ってすぐに目の前にカスタムされたgc8が走っており、
お!これは追うしか無いでしょ!
と訳の分からない若い私の解釈により追いかけておりました。
※因みにこのgc8は全く知らない人。
東京タワーを横目に、芝浦にて箱崎と湾岸の分岐があるのですが、誤って湾岸の方へ行ってしまいました。
これが運命の分かれ道になるのですが・・・
まぁいつも通り遊ぶべ♪との事で追いかけ続けて横浜手前まで行く事に。
十分に満足した私。
そこで、そろそろ嫁の所に帰らないとと思った私。
そこからすぐに下りて、引き返す事に。
そこで乗ると今度はM34ステージアが・・・
※イメージ写真
この車もカスタムされており、速かったのは覚えています。
懲りずにまた追いかける事に。
追いかける事、羽田空港西辺りで起こすのです。
大事故を。
覚えているのは、追い越し車線を走っていた私。
右カーブの途中に右からの合流があり、遅い車が入ってきて、それを交わす為左にハンドルを切り、ブレーキを踏んだ所で道のつなぎ目のバンプーで車が跳ね、後輪がロックされドリフトと言うかスリップし制御不能に。
寒い冬の日だったのもありますが・・・
決して遅い車が悪い訳ではなく、自分がとにかく悪いのです‼️
道路にタイヤが噛んだ時には目の前は中央分離帯。
今だから白状しますが減速しましたがそれでも多分130キロ位で突っ込んだと思います。
単独事故です。
この時はスローモーション状態。
ぶつかった瞬間は上方向に飛んだので、衝撃が逃げてくれたのは良かったかもしれません。
でもその分叩きつけられる感じで、ドカーン!
車は止まり、目の前の景色は肘曲がったボンネットが見えます。
車内はジョージアコーヒーが散乱してコーヒーの匂いとオイルが焼けた匂いだとかゴムの焼ける匂いが漂う。
メーターはスタンバイ状態で方向指示器が右折になっています。
これは叩きつけられたからでしょう。
無惨にもカッチンカッチンという音が虚しく聞こえてきます。
一瞬私は現実が分からず、とりあえず怪我が無いか全身を確認して大丈夫そう。
サイドミラーを見ると大破したフロントバンパーが落ちているのが見えます。
あ〜やってもうた・・・
コーナー途中だったので、危険なので白煙灯だけでも焚き、次に警察へ至急連絡。
あの時車の中にいろという指示があったので車内にいたと思います。
その後すぐに保険屋に電話をしました。
そんなに車の通りがなかったのが良かったのですが、二時災害にはならず。
10分位だったか、そこはあまり覚えてませんが公団の車が到着してくれて、交通整理をしてくれました。
そしてパトカーも到着。
2人のお巡りさん👮♀️が対応となるのです。
とにかく馬鹿な私であり、駄目な経験をしたもんです。
前編はここまでとします。
修羅場を超えた修羅場の後編へ続く。
それでは♪