フーガの奈良県桜井市高家地区・磐余の邑・古代大和王権の根拠地・奈良盆地西側一望に関するカスタム事例
2019年06月01日 15時11分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんにちわ(⌒0⌒)/~~
宿泊施設バックに撮った後周り見てたら景色のイイ所があり撮りました(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県桜井市高家地区になります(⌒0⌒)/~~
先程は宿泊施設の南西側で撮ってましたが(^_^;)
こっちは宿泊施設の北東側真下ぐらいになります(⌒0⌒)/~~
お約束の土手に登ってパチリ(⌒0⌒)/~~
ここからの景色は手前から桜井市→天理市→奈良市になります(⌒0⌒)/~~
盆地やからかなり先の方まで見渡せます(⌒0⌒)/~~
多分左端の緑の古墳右斜め上のうっすら白い部分は若草山やと思います(⌒0⌒)/~~
それと右の新緑とまだらの色合いの山は大神神社⛩️の御神体の三輪山になります(⌒0⌒)/~~
土手に登って上から目線の斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
この前回紹介した『l'auberge de plaisance sakurai オーベルジュ・ド・ぷれざんす 桜井』の敷地内の今撮影してる側には『磐余の邑(いわれのむら)』の伝承地があります(⌒0⌒)/~~
磐余の邑は、この場所から眼前に広がる桜井市の西部地域を差した古代の地名らしいです(・・;)
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
磐余の邑は日本書紀に神武東征の物語には『磐余の地の旧名は、片居または片立という。大群集(つど)いてその地に満(いは)めり。因りて改めて磐余とする。』と記されているそうです(・・;)
土手からの上から目線ショット(⌒0⌒)/~~
神武天皇の和風謚号にも神日本磐余彦天皇と『磐余』含まれているそうです(⌒0⌒)/~~
土手に登って上から目線の斜めおちり(笑)パート2(⌒0⌒)/~~
この地は、古代大和王権の根拠地として、履中天皇の磐余稚桜宮、清寧天皇
の磐余甕栗宮、継体天皇の磐余玉穂宮、神功皇后の磐余若桜宮、用明天皇の、磐余池辺雙槻宮などの諸宮があったと伝えられているそうです(・・;)
土手に登って上から目線の斜めおちり(笑)パート3(⌒0⌒)/~~
今回は5月30日に奈良県桜井市高家地区の磐余の邑周辺から奈良盆地をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~