N-ONEのホンダコレクションホール・ホンダスポーツ360・カーチス号に関するカスタム事例
2024年10月20日 02時38分
えむ・どーぐ です。家族でホンダ車を4台所有しています。 私のクルマ プレミアムクリスタルオレンジメタリックⅡの2020年式 GB7 フリードハイブリッド クロスター 妻のクルマ ブリティッシュグリーンパール/クリスタルブラックパールの2022年式 JG3 N--ONE RS 長男のクルマ フィヨルドミストパールの2023年式 GR3 フィットe:HEV リュクス 次男のクルマ スレートグレーパールの2025年式 GR3 フィットe:HEV RS
話題が前後しますが、栃木オフ会の前日10月12日にホンダコレクションホールに行って来ました。
栃木県モビリティリゾートもてぎ内にある、ホンダの博物館です。
この場所に開館する前は鈴鹿サーキットの事務棟の半地下の一角に小規模で展示されており、1990年代に2回見た事がありますが、もてぎに移設されてからは初めてです。
展示車両について、解説ではなかった、個人の主観を書いてみます。長いですよ。
実は1998年秋にホンダ創立50周年記念イベントがもてぎで開催されたとき、妻が応募した入場チケットが当選したのですが、子供達はまだ4歳2歳と小さく、当時乗っていたシャリオも故障が起きていた時期で長距離走行に不安があったので行くのを断念しました。
26年目のリベンジです。
創業社長本田宗一郎と、第1期ホンダF1 プロトタイプRA270。
ホンダ4輪原点のひとつ、スポーツ360。
試作車のみしか製作されずその後は廃棄されて本物は現存しないので、このクルマは4輪車発売50周年記念として、ホンダが製作した復刻車です。
スポーツ360のインテリア。
スポーツ360は当時の軽自動車規格に適合させるため、後に市販されるS500、S600、S800とは異なるデザインです。
このクルマは2013年東京モーターショーに展示された際にも見ていますが、あの時は離れた場所で押し寄せる来場者に抗して必死に撮影したのですが、ここではこんな至近距離でじっくり眺められるなんて最高です。
もちろんこのクルマの、復刻製作工程を記した書籍も持っています。
読んでから現車を見ると、いかに手間を掛けてこのクルマが復刻されたかが分かります。
トヨタ博物館のトヨダAA型(こちらもトヨタの1号車なのに実車を発見出来ず、トヨタでレプリカを製作した。後年ロシアで実車が発見される)もすごかったけれど、スポーツ360も勝るとも劣りません。
自社の1号車はどうしても展示したかったという、執念ですね。
ホンダ4輪初の商用車T360とS500。
T360は、開業したばかりの鈴鹿サーキットで作業車として多数使用されていました。
なぜ私がホンダSシリーズに入れ込んでいるのか。
母方の叔父が1966年-1970年にS800を所有、幼い私は何度か乗せてもらった事があり、これが私には初めてのホンダ体験であるためです。
N-ONEの先祖、N360。
ホンダZ。
樹脂製リヤゲートは通称水中メガネ。
その内側のガラスに接するモールが経年変化で縮んでしまう個体がほとんどだが、このクルマは保管状態がとてもよい。
後期型は1973年の特撮番組、ジャンボーグAの2号ロボット、ジャンボーグ9に変身していましたね。
バモスホンダ4。
プレイカーという4駆ぽいが2駆というユニークなトラック。
幌はあってもドアが無くてバーがその代品という。
開放感抜群だけど、今の安全基準では市販は無理。
ホンダ1300。
強制二重空冷4気筒エンジンを搭載する、ホンダでしか出来ない異色車。
エンジン本体、オイルタンク(このクルマはドライサンプ)エキゾーストマニホールドにまで冷却フィンがすごい。これを鋳型で作る際には無茶苦茶手間が掛かったはず。
しかしこのクルマの特異なのはリヤサスペンション。縦置きリーフスプリングなのに固定軸ではなく左右別々にクロスさせた状態でアクスルビームを配置する独立懸架。私が知る限り縦置きリーフスプリングで独立懸架のリヤサスペンション型式はホンダ1300と後継の145シリーズしか無いと思います。
まさに本田宗一郎の独創が頂点に達したクルマです。(販売成績はイマイチだったが)
1st シビック。
1300の販売不振で窮地に陥ったホンダ4輪車を、一気に立て直した救世主。
公害対策エンジンCVCCで、世界一厳しいとされたアメリカの排ガス規制マスキー法に一番に適合した。
とはいうものの、51年排ガス対策のシビックに乗った時に、余りの回転落ちの悪さとドヨーンとした鈍いレスポンスにがっかりしたものです。
モデル途中で、スポーツグレードのRSがわずか1年少々の間追加になりました。今に続くロードセイリング、RSグレードの始まりです。
1st アコード。
シビックよりも上級移行を狙った。
当時の国産車では、ワイドトレッドの安定感、インテリアのカラーコーディネートやデザインは秀逸でヨーロッパ車と比較しても引けを取らないと高評価。
父親が買おうとしたが駐車場が確保できず、断念したという思い出があります。
3rd シビック、1st バラードスポーツCR-X、1st トゥディ。
ワンダーシビック25i、私が最初に買ったクルマです。
斬新なボディデザインがお気に入りでした。排気ガス規制未対策の18R-Gエンジンを思わせるようなゴゴゴという吸気音もとてもよかった。N-ONE RSでも同じような吸気音がするので思わずニヤリとしてしまいます。
3rd アコード。
私の2代目のクルマです。うちのは後期型のビガー2.0Siエクスクルーシブですが。
4ドアセダンにまでリトラクタブルヘッドライトを採用なんて、当時は楽しい時代でした。今では到底無理でしょう。
1st レジェンド。
後期型のターボが発売された時に、ビガーを好条件で下取るので乗り換えませんか?とセールスに言われたけれど、追金の都合が付かずやめてしまいました。
1st NSX。
まさにホンダドリームの象徴。一度だけ4AT車に乗った事があるが、これこそスポーツカーだと感動しました。
でも買えないので、エンブレムを入手するだけで我慢。
1st オデッセイ、1st C-RV、1st ステップワゴン、ピープルムーバー。
私はステップワゴンに一目惚れして、後期型を8年半所有。
DC2インテグラTYPE R、EK9シビックTYPE R。
ほしかったけれど、これらもエンブレムだけで我慢。
FCXと1st インサイト。
ホンダは燃料電池を古くから手掛けているけれど限定市販のみで、クラリティ・フューエルセルも生産終了しちゃったし、どこまで本気なのかよく分からない。トヨタ・ミライのように継続的にやるべきではないですか。
インサイトはハイブリッドカーとして登場は早かったが、世代ごとにボディ形状やコンセプトがコロコロ変わり迷走しているように見えてしまう。まあホンダは軽を除いてハイブリッドがメインになっているので先駆者の功績は認めるけれど。
最後に入口近くに展示されているカーチス号。
本田宗一郎が1924年に製作に携わったレーシングマシーン。
エンジンは航空機用V8で、シャーシーは既存車をベースにしているが、ボディはワンオフ製作。本田宗一郎はメカニックとして1924年-1936年の間レースに参戦して好成績を収めた。その後、1977年にホンダに引き取られ動態保存でレストアされて、ホンダコレクションホールに展示という事です。動態保存なので、まれにイベントに登場することがあります。
冒頭に書いたホンダ創立50周年記念イベントでも、本田博俊氏(無限創業者)と、マシーンの保存とホンダへの寄贈に尽力された故浜素紀氏(ホンダSベースのレーシングマシーン、コニリオの製作者)の両名が乗車してもてぎのコースを周回したと雑誌に掲載されていました。実走行シーンを見れるチャンスにだったのに、その場に行けなかったことはひどく残念な事だったと後悔しました。
でも考えてみれば、自動車レース黎明期の参戦車両が100年近い年月を経て現存するのはすごい事ですね。
4輪市販車の話題しか書いていませんが、長くなったのでこの辺で。