86の86style with BRZ・86BRZ・86スタイル2021・帰るまでが86style・鉄道【SL】に関するカスタム事例
2021年11月22日 11時07分
2018年式G型アズライトブルー グレードGT やりすぎないでかっこいいを目指してます。 基本フォローは返します。 ちなみにTwitter→@jhonson_639です。オタクのアカウントなのでフォローなどはご自由に…
86styleから帰宅して即寝てしまったので昨日の写真を一気に。
土屋圭市氏の86前期とAE86
superGT 300クラス
JAF-GT300規定スバルBRZ 2021年シーズン仕様
Tom'sのブース。いろいろ話が聞けました。
・ZN6系のエアロパーツは今後も継続販売していく予定。(今後中古車でオーナーになる方が増える予想のため)
・エアロ関係で現在色によっては廃盤になっているが、1番売れているのがフラットブラックなため、フラットブラックと素地の2つに絞っていく方向(GR86はすでにその2つのみの設定)
・ZN8に来年2月にオーバーフェンダーをリリース
同じく来年2月にZN8 MT向け(ATはアイサイトの関係でリアが現状対向キャリパー化ができないため設定できない)にブレーキキャリパーキットをリリース。フロント4pod+リア4pod サイズ感としてZN8純正18インチホイールが逃げる程度のもの。ローター径前後330mm
・ZN6で販売したようなスーパーチャージャーキットはZN8でも販売する計画はあるが、まだテストはしていない。コンピューターへのアクセスが難しく解析ができていないため、今後どうなるかはわからない。
・GRスープラの改良後のコンピューターも解析中。
・今後もZN8はもちろん、ZN6も新商品を計画していく
個人的にTom'sのフロントが割れてしまっているので、まだ新品で買えるのが嬉しいですね!
早速新型BRZにスバル純正赤キャリパー流用しているショップさんを発見
GRエアロをつけたGR86の展示車。
実際見るとカッコいいが、まるで社外エアロのような派手さがあるので個人的にはTom'sエアロのようなシンプルな感じがいいかな…
GR86を買うとしたら、僕ならTom'sのフロント、サイドにStiのドライカーボンウィングをつけたいかな、全部ディーラーで買える合法車検対応だし
あとスバルのBRZ展示スペースで、ZN6/ZC6のAT開発の方に話を聞けました。
・先代の時のATの開発は「MTにフィーリングで勝てるミッションを作る」ことを考えてやっていた
・MTを買う人は9割方最初からMTしか買うつもりのない人たちなので、正直ミッションが良かろうが悪かろうがあまり販売台数の変化に関係がない。ATはスポーツカーに興味のない人たちにも触れやすいので、その人たちに対して買ってもらえるように作った(僕はこれにまんまとハマった口です笑)
・先代の時点で、自分ではもうこれ以上ないくらいやりきったと思っていたが、今回新型で開発を担当した部下が物凄く良くしてくれた。全体的に完成度が2段階ぐらい上がった
・個人的にMTとATで迷っているなら、ATの方が出来がいい自信があるし、ATの方をオススメしたい。実際どちらも試乗した人の多くはATの方を褒めていただいている
・今回エンジンの冷却が水冷になったのは重量を抑える点と、エンジンオイルの全体的な油温管理をしやすくする点が1番大きい
写真を撮り忘れてしまいましたが、HKSブースでHKSの人にも話が聞けました
・ハイパーマックス4GTシリーズがハイパーマックスSに統合されたが、ダンパーが20SPECよりも少し柔らかいので路面の凹凸を拾いすぎる
・FA24用のターボやスーパーチャージャーは今現在開発している
・ハイスペックLⅡのフィニッシャーカバーのノイエスブルーステンレス(淡い青のような色のやつ)は在庫限りで終了なため、欲しいなら今買った方がいい。ただ、今後新しい色を追加していく予定
JR御殿場駅にて、国内最強の蒸気機関車とも言われているD52を見てきました。
主要な幹線で貨物を牽引するため、国内で作られた蒸気機関車では最大のボイラー。製造時は戦時中ということもあり、材料の質が悪く設計通りの性能が出なかったことやボイラーの爆発事故があったのも同時期のD51戦時型と同様。戦後に改修され、一部のD52はボイラーをC62への改造に使用された(C62は狭軌と呼ばれる日本の在来線と同じ線路規格で時速129キロを記録し、狭軌においての世界最速の蒸気機関車となっている。記録したC62 17は愛知のリニア・鉄道館で保存されている)
このD52は285両作られたうちの72番目のもの
1944年に川崎重工で作られ、広島や下関で使われた後にこのあたりへ来ました。
御殿場線はどちらの方向からでも御殿場駅に向けて坂を登るような形になっており、その坂が当時の鉄道には厳しく、上り坂の補佐としてD52が使用されました。現役当時は御殿場駅にて機関車の切り離しが行われていました。
足柄に圧縮空気による動態保存がされている70も同じく御殿場線で運用されていました。そういうこともあってD52の保存機は御殿場線周辺に集中しています。
明治時代に作詞された1番最初の鉄道唱歌は、東海道本線がモチーフでした。
なぜこの唱歌の石碑が御殿場駅にあるのかというと、現在の国府津駅-沼津駅間の東海道本線は、元々は現在の御殿場線でした。今の熱海駅付近のトンネルが完成し、線路が敷かれたため熱海駅経由の現在の東海道本線の形になり、御殿場線は東海道本線ではなくなりました。
元々は上りと下りのレールがある複線だったのですが、戦時下での資材不足から主要幹線から外されローカル線にされた御殿場線の片方のレールを剥がし、利用され現在の単線となりました。今でも複線だった頃の名残りとして、当時線路があったスペースが空いていたり、橋やトンネルなどの構造物が残っています。
そういった貴重な機関車を見学し、沼津へ立ち寄って家に帰りました。総走行距離800キロの長旅でした。