マカンの錦帯橋・佐々木小次郎に関するカスタム事例
2019年06月26日 10時54分
ぶらり撮影ドライブ 〜錦帯橋〜
午前6時前に到着〜😃
錦帯橋が最初に建造されたのは延宝元年(1673年)。
それから台風で流失したりで現在の錦帯橋は昭和28年に建造当時のまま復元されました。
5連のアーチからなるこの木造橋は、主要構造部は継手や仕口の組木の技術によって釘は1本も使わずに造られているそうです。
因みに一般庶民が通行出来るようになったのは明治時代になってからで、それまでは武士や一部の商人など身分の高い人しか通ることが許されなかったようです。
この時間でも観光客や、独りカメラ女子も
ちらほら居ました😃
橋の裏側の木の骨組みの造りが興味深い😃
山の上に岩国城が見えます。
ロープウェイで城まで行けるのですが
未だ行ったこと無いです😅
余談ですが、車輌の通行は一切不可となっていますが、平成10年に男3人が興味本位で軽トラで渡ろうとして逮捕。橋が傷つき、補修に200万円以上掛かったそうです😤
佐々木小次郎像
佐々木小次郎は慶長17(1612)年に現在の山口県下関市にある船島、「巌流島」にて宮本武蔵と勝負し敗れたことで知られ、物干竿と言われた長尺な太刀を振るい、「燕返し」の秘剣を生み出したことでも知られています。
吉川英治原作の小説「宮本武蔵」の中では、佐々木小次郎が、錦帯橋畔で柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得た」とあります。