718 ケイマンのポルシェ・麻賀多神社⛩奥宮(船形)・印波国造伊都許利命墓・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年08月27日 06時06分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
成田市船形の麻賀多神社⛩(奥宮)の駐車場です😊
こちらの奥宮には古墳があるということで、麻賀多神社(本宮&奥宮)のラストはそちらを❗️
奥宮の境内に案内板💁♂️が…
『式内社・麻賀多神社(成田市指定文化財)
麻賀多神社は、平安時代に編修された「延喜式」の「神名帳」に記載されている由緒ある神社で、市内台方区稷山と、ここ船形区手黒の二社あります。
台方社は稚産霊神を、船形社は奥の宮で稚日霊神をお祭りしています。
伝伊都許利命墳墓(千葉県指定文化財)
本古墳は、「先代旧事本紀」の中の「国造本紀」に見える"印波国造伊都許利命"の墳墓と伝えられています。
墳丘の大きさは、東西辺約35m、南北辺約36m、高さ約5mの方形墳です。
遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、絹雲母片岩の板石を組み合せた箱式石棺の二施設があります。』
麻賀多神社の説明は、本宮と奥宮に参拝して分かりましたが…
古墳については、なるほど〜🤔という感じです。
さらに案内板💁♂️が…
『この古墳は伊都許利命のお墓と伝えられます。
命は今を去る約千七百年の昔(4世紀)、印波の国造としてこの地を治められ、麻賀多神社を創建されました。
古墳は、古来、命の神霊が宿るものとして崇められ、人々の信仰を集めて参りました。
現在、古墳そのものが「伊都許利神社」として神社庁に登録されています。
なお、南側(道路側)の階段から古墳の頭頂部に上がることができ、大墓標や顕彰史碑をご覧いただけます。』
なるほど、なるほど…こちらの案内の方が分かりやすい😄
で、こちらが印波国造伊都許利命御墳墓です😊
こういった案内板や飾りがなければ…
素通りしちゃいそうなところです😆
こちらがその石室なんですね。
古代のロマンですかね😊
こちらが案内板にあった…
南側(道路側)の階段ですね😊
階段の中腹にも案内板💁♂️が…
『伊都許利命由緒
伊都許利命は 神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇の命を受けて 印旛国造としてこの地方を平定され 産業の指導などに多くの功績を残されています
その昔 日本武尊 ご東征の折 大木の虚に鏡をかけ 根本に七つの玉を埋めて 伊勢神宮に祈願されました 命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきゝ その鏡を御神体として この地に稚日霊命を(手黒神社)祀り その後 ご霊示によって 七つの玉を掘り出して稚産霊命(台方神社)を祀り 共に麻賀多眞大神として 里人の崇敬を指導されてから 益々豊年と楽土が続きました なお 佐倉藩磯部昌言氏の記す佐倉風土記を始め塚上の古建碑等によって治績が広く知られ 又明治四十四年大正三年の二回に亘って古墳が保存され 近年成田市の史跡に選ばれました
御墳墓は土砂が少しけづられている様ですが 周囲一二○米 髙さ七米の 方形墳で 南の麓には 広さ約五平方米の岩屋と 西麓には 直刀 金環 鎧片等を納めた石棺と その出土品が現存しています』と書かれています😊
モスキート🦟🦟🦟攻撃隊が私めがけて襲ってきます🙀🙀🙀
血🩸吸えるもんなら吸うてみぃ〜💢
多分、2匹🦟🦟は撃墜❗️
案内板の説明通り、頭頂部に大墓標や顕彰史碑が見えますね〜😄
頂上部の案内板💁♂️には…
『伊都許利命墓誌(大意)
下総の印波(旛)稷山の東北約八百メートル、瀛宮の東南五十メートル余りのところに大きな墓穴がある。
それは伊都許利命の墓である。
祠をこの上に造って二神を祀り既に千有余年になる。
謹んで調べると命は神八井耳命から八代目の孫で、応神天皇に仕えた印波の国造であると旧事本紀に記載されている。
それは稚産霊を祀って国社とし、稚日霊を祀って瀛宮としている。
神主・従三位藤原家清が、乾元中(一三○二年から一三○三年)記するところによれば、徳をもって良い仕事をすれば名を成す。
これは世のならいである。
伊都とは五土(土地)のこと、許利すなわち凝金(豊かさ)のもと、土地を豊かにして尊敬される。
また、そのようにすることが正しい道である。
民のために社を建て、民を正しく導いた。
其の徳功を知るべきである。
家清十八代孫正六位屋玄改めて追崇し碑を建て。
碑に記す文を求める。
銘(碑の銘文)にいう。
稷山の東北、瀛宮の東南のこの地は、当に龍の岡(神域)怪物や悪者は逃げ失せ、惟みるに(思えば)
神のおかげて安らぎを得ている。
ささやかな祭を時に行い、鎮め守らせるために、徳の輝きひかえめに五凝(伊都許利)の神を敬い、長い年月ににわたり執り行いつつしめば、もろもろの邦(地域)共に栄える。
山海を廻り(銘文を)撰』
難しい文章ですね…😅💦
印波国造伊都許利命墓にお参りをしました😊
今回は…
麻賀多神社本宮、そして奥宮、さらには印波国造伊都許利命墓とたいへんボリュームのある神社仏閣巡りでしたぁ〜🤗
駐車場へ戻ると…
モスキート🦟攻撃隊の奴等に3箇所ほど攻撃されていました🩸🩸🩸