フーガの奈良県橿原市醍醐町の藤原京跡・コスモスと朝日・春は桜と菜の花、7月は蓮花、夏は黄花コスモス、秋はコスモスに関するカスタム事例
2018年10月24日 21時34分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんばんわ(⌒0⌒)/~~
今回は先週の金曜日夜明け前からコスモスをバックに撮って来ました(⌒0⌒)/~~
撮影場所は藤原京跡です(⌒0⌒)/~~
藤原京跡は奈良県橿原市(かしはらし)醍醐町(だいごちょう)になります。(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
コスモスの話は前回しましたので藤原京の話を(^_^;)
藤原京は、飛鳥京の西北部、奈良県橿原市と明日香村にかかる地域にあった飛鳥時代の都城で日本史上最初の条坊制を布いた本格的な唐風都城でもあり、平城京に遷都されるまでの日本の首都でした(⌒0⌒)/~~
持統八年(694年)から和銅三年(710年)までの16年間、都城制を敷いた初めての都で、日本初めての国家体制が確立された大化の改新(645年)以後、その新しい国家の首都として造営された日本で最初の都市であります。(⌒0⌒)/~~
半おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
資料には、持統天皇四年(690年)に着工し、4年後に飛鳥浄御原宮から宮を遷したとあり、それまで天皇ごと、あるいは一代の天皇に数回の遷宮が行われていた慣例から三代の天皇に続けて使用された宮となったのことは、大きな特徴としてあげられるそうです。(⌒0⌒)/~~
藤原京のには30000㎡(甲子園球場🏟️約二個分)に7種、300万本のコスモスが咲いています(⌒0⌒)/~~
時期は10月上旬~10月後半で、場所は藤原京跡の秋ゾーンと朝堂院東ゾーンになります。(⌒0⌒)/~~
歴史に戻ります(^_^;)
実際の建設は、その後の研究により、既に天武天皇五年(676年)にはかいしされ(これを倭京と呼ぶ)宮都が完成したのは遷宮から10年も経った慶雲元年(704年)とも言われ、着工から28年が経過した事になるそうです。(⌒0⌒)/~~
以来、宮には持統・文武・元明の三代に渡って居住したが、完成から四年後和銅元年(708年)に元明天皇より遷都の勅が下り、和銅三年(710年)に平城京に遷都された。その翌年の和銅四年(711年)に、宮が焼けたとされているそうです。(⌒0⌒)/~~
藤原京跡は、季節によって5つの花ゾーンがあり(⌒0⌒)/~~
先ほど紹介した秋ゾーンにはコスモス(⌒0⌒)/~~
朝堂院東ゾーンは四季折々の花(⌒0⌒)/~~
夏ゾーンは、約7000㎡に黄花コスモスを(⌒0⌒)/~~
そして、蓮池ゾーンには、11種類の花蓮を植栽しています。(⌒0⌒)/~~
それと二枚画像にあるのは、今年4月ごろに撮った(⌒0⌒)/~~
春ゾーンで約25000㎡の菜の花と醍醐池周辺で咲き乱れる桜とのコラボが見事です(⌒0⌒)/~~
朝日が出てきました(⌒0⌒)/~~
15分前ぐらいにガードマンが出勤してきて( ̄▽ ̄;)
『車移動してください』と、言われて( ̄▽ ̄;)
『頼むさかい日の出までもう少しやから待って(>_<)』と、言ったら(・・;)
『そんなの関係ありません』とキッパリ( ̄▽ ̄;)
まぁ~確かにそうやなぁ~と思いながら、警備員の方見たら、他の駐車車両の方に行ったので(^_^;)
『朝日はよ出て(>_<)』と念じながら待ってました( ̄▽ ̄;)
横おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
に朝日が(⌒0⌒)/~~
痛い痛い警備員の視線を感じながら、数枚撮って(^_^;)
警備員に会釈して車に乗ってその場を離れました(^_^;)
今回は先週の金曜日に藤原京跡のコスモスと日の出をバックに車を撮りました(⌒0⌒)/~~