718 ケイマンのポルシェ・天台宗芝山仁王尊観音教寺・山武郡芝山町に関するカスタム事例
2021年11月05日 05時32分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
はにわ博物館からの〜
天台宗芝山仁王尊観音教寺です😁
すっごく立派なお寺でした😊
芝山仁王尊のHPには…
『名称:天應山 観音教寺 福聚院(関東天台旧制伴頭拝領寺院)
宗派:天台宗
本尊:十一面観世音大菩薩
脇士:芝山仁王尊
当寺は比叡山延暦寺を御本山とする天台宗寺院で、正式名称を天應山観音教寺福聚院と称します。山号の天應山は創建が天應元年(781)と云われることに由来します。
日本年代記によれば、人皇第四十九代光仁天皇の宝亀十一年(780)正月、平城京が雷火に襲われ、皇室擁護の寺院が多く焼失したので、諸国に命じて新たに仏寺を建立せしめたとあります。丁度その時、征東大使として蝦夷平定の任にあった中納言藤原継縄朝臣がこの布令の下に当地に寺院を建立し、御本尊として奉持して来た十一面観世音大菩薩を奉安したのが、当寺の始まりであると伝えられております。
天長二年(825)、後に第三代天台座主となった慈覚大師円仁により中興され、次第に甍の数を増やし、近隣に八十余宇の子院を置くに至ったと伝えられます。その後、治承年間には千葉介平常胤の崇敬を受け、許多の仏田が寄進され、永く祈願所として栄えますが、秀吉の小田原攻めの影響を受け、当山も全山灰土と化したと伝えられます。
やがて江戸時代に入りますと、徳川幕府の庇護の下、十万石の格式を持つ伴頭拝領寺として関東天台の中核をなす寺院となりました。特に火事泥棒除け・厄除けの仁王尊天として大江戸の庶民の信仰を集め、いろは「四十八組」の町火消が纏を先頭に競って参詣したと伝えられます。
現在でも有名な新門辰五郎の旧「を組」の記念碑が境内に建っており、その信仰が今日迄連綿として伝えられている事が分ります。』
と書いてあります😊
こちらが仁王門です💁♂️
荘厳な感じが漂っているでしょ〜
HPによると…
『現在のお堂は明治2年(1869)起工、明治4年3月4日上棟、明治7年48世全亮代に落慶、明治15年49世亮晄代に完成した総欅造り・お堂形式の建物で、実測は、五間五間半という壮大な建物です。お仁王様は、観音様のご門番として、一般には御門をくぐるときに拝めるのですが、当山のお仁王様は、畳の敷かれた堂内、内陣須弥壇の上にお祀りされている非常に珍しいお仁王様です。この理由は、お仁王様の霊験があまりにもあらたかであるので、観音様の化身と考えられ、仏様と同じように須弥壇の上お厨子の中にお祀りされるようになったと言い伝えられています。
火事・盗難除け、心願成就の御力を授けて下さいます。しばしば大火に見舞われた江戸の町では、町火消し衆の信仰を集め、「江戸の商家で仁王様のお姿を祀らないお店は無い」とまで云われました。江戸(東京)での出開帳や町火消しの総元締め新門辰五郎の石碑などがそれを物語ります。』
普通は左右に阿吽像が睨みをきかせているわけですけど…
こちらは左右が畳敷きの部屋のようになっており、そこに祀られています。
内部は撮影禁止🈲なので撮りませんでしたが…😅💦
仁王門の左右に大きなわらじが掛けてあるんです。
石段の上の街灯が洒落ていますよね〜
教会⛪️みたいな街灯じゃないですかぁ😆
こちらは仁王門を抜け石段を登って左手にある手水舎です。
コロナで使用禁止の貼り紙がしてあります😅
こちらは不動堂です。
HPには…
『昭和29年、岐阜市の安田賢三氏が、子息の菩提を弔うために再建されたお堂で、ご本尊に安田家の守り本尊であった不動明王をお祀りしております。
安田氏のご子息が病に倒れ、「自分はもうこの世を離れねばならないが、不動明王の行かれる場所が決まる迄は離れられない」と言い出されたそうです。
そこで安田氏は、愛知県に住む稲荷信仰の行者野田末次郎氏に依頼をし、大神に伺を立てて頂いたところ「吾、上総国芝山より出しもの。疾く疾く行きて元の座に安置せよ」とお告げがあり、当寺に奉納されました。
その昔、行者さん達はよく御分身を携え修業に出ておられたので、57世現住職もこのお不動様もその御分身の一躰であろうと合点し、御奉納頂くことに致しました。その頃ご子息の容体が急変し、他界されました。不思議な縁の伝えられる御尊体です。』
どうですか、めっちゃ風情ある建物ですよね😊
こちらが全体像ですね😊
右手に映っている三重塔は後ほど説明します。
左手にあるのが本堂で、その横は、以前はこのお寺独自のはにわ博物館だったらしいです。
こちらのはにわ博物館を閉館して、所蔵していたはにわは昨日投稿した町営のはにわ博物館へ移動したようです。
見応えたっぷりのお寺さんです🤗
こちらが本堂ですね💁♂️
こちらもHPの引用で…
『ご本尊十一面観世音大菩薩をお祀りするお堂です。
厄除け観音様として信仰を集めております。
享保6年の建立、実測は、五間四方濡縁付きの密教建築で、江戸中期の優美な建物です。元は現在の香炉辺りに建てられていましたが、参拝者の混雑を避けるために昭和54年に現在の場所に曳き上げました。
堂内には、狩野常光筆の天井画、夏枯れの松の伝説を表わす欄間、三葉葵の御紋を打った人天蓋、島村円哲の彫刻等多くの文化財が有ります。
比叡山延暦寺の根本中堂に倣い、元禄6年(1693)に薬師如来を招来しました。薬師瑠璃光如来は、東方浄瑠璃世界の教主であり、12の誓願を発せられて私達を安楽の国土に導き給うと云われます。左手に薬壷を持つ御像が多いので、巷間では病気を除く仏様と思われがちですが、実は薬壷の薬は心の病をも癒し、社会の歪みをも正し給う有難い仏様です。』
三重塔のすぐ側までクルマを移動しました🤗
まだまだ写真もあるので今日はここまで💨
続きは明日投稿します😆