フーガの奈良県葛城市笛吹地区・葛木坐火雷神社⛩️・通称笛吹神社⛩️・日露戦争時の大砲に関するカスタム事例
2019年05月30日 18時34分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんばんわ(⌒0⌒)/~~
今回は5月28日(火)に神社⛩️をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県葛城市笛吹地区になります(⌒0⌒)/~~
神社⛩️の名前は葛木坐火雷(かつらぎにいますほのおいかづち)神社⛩️になります(⌒0⌒)/~~
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
地元では通称、笛吹神社⛩️と呼ばれています(⌒0⌒)/~~
祭神は火雷大神と天香山命を主祭神とし、大日霊貴尊・高皇産霊尊・天津彦火瓊瓊杵尊・伊古比都幣命を配祀してるそうです(⌒0⌒)/~~
葛木坐火雷神社⛩️の元々の祭神は火雷大神で、天香山命は笛吹神社の祭神だそうです(⌒0⌒)/~~
創建は不明ですが、社伝では、神代とも神武天皇の御代とも伝えられているそうです(・・;)
文献での初出は任寿2年(852年)4月、正三位の神階を授けるという記述があるそうです(⌒0⌒)/~~
更に貞観元年(859年)正月27日に従二位の神階を授けられた、また、延喜式神名帳では『大和国忍海郡 葛木坐火雷神社⛩️二座』と記されているそうです(⌒0⌒)/~~
しかしそれ以降、葛木坐火雷神社⛩️の記載が見られなくなり、社伝では、平安時代に社勢が衰え、当地にあった笛吹神社の末社になったと伝わるそうです(・・;)
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
笛吹神社⛩️は、当地を拠点とした笛吹連によって作られた神社⛩️とみられ祭神の天久山命は笛吹連の祖神であるそうです(・・;)
本殿の背後に古墳があり、笛吹連の祖・櫂子(かじこ)の父である建多祈命の墓と伝えられてるそうです(⌒0⌒)/~~
ローアングル斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
明治7年(1874年)笛吹神社⛩️の末社であった火雷社を合祀し、社名を葛木坐火雷神社⛩️に改め、郷社に別格にしたそうです(⌒0⌒)/~~
境内には日露戦争の時の政府から与えられたロシア製大砲が残ってるそうです(・・;)
今度行ったときは参拝兼ねて見に行きたいと思います(⌒0⌒)/~~
今回は5月28日(火)に奈良県葛城市笛吹地区の葛木坐火雷神社⛩️(通称笛吹神社⛩️)をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~