フーガの奈良県高市郡明日香村檜前地区・桧隈寺跡・於美阿志神社⛩️・ローガンに関するカスタム事例
2019年06月06日 07時29分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は6月4日(火)に神社⛩️の前で撮りました(⌒0⌒)/~~
ちょい斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県高市郡明日香村檜前地区になります(⌒0⌒)/~~
神社⛩️の名前は於美阿志(おみあし)神社⛩️と言います(⌒0⌒)/~~
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
元は桧隈寺で境内に跡地があります(^_^;)
於美阿志神社⛩️は代15代応神天皇の代に渡来した阿智使主(あちのおみ)の住居地跡だそうです(・・;)
阿智使主は漢人系渡来人で東漢氏(やまとのあやうじ)の祖に当たるそうです(・・;)
於美阿志神社⛩️の祭神がこの漢人系渡来人の阿智使主神夫妻二柱と東漢氏祖神になります(⌒0⌒)/~~
於美阿志神社⛩️は、江戸時代までは車の前の道を挟んで対面に鎮座していましたが(・・;)
明治40年(1907年)に桧隈寺金堂跡に遷座したそうです(・・;)
ちょい上から斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
於美阿志神社⛩️の前にあった桧隈寺(ひのくまでら)が東漢氏の氏寺だそうです(・・;)
七世紀後半の創建だったそうで中世には道興寺(どうこうじ)と呼ばれていたそうです(⌒0⌒)/~~
桧隈寺は日本書記の朱鳥元年(686年)に文献で記されているだけらしいです(・・;)
鎌倉時代の『清水寺縁起』には『道興寺』という寺がこの地にあったと記されていたので名を替えていたのが解り(・・;)
また、中河内郡で出土した永正10年(1513年)梵鐘に『奉道興寺鐘』という文言がありそれまでは存続していたと解るそうです(・・;)
しかし、本居宣長の『菅笠日記』では、彼が明和9年(1772年)に飛鳥・吉野を訪ねた記録によると、宣長が訪れた当時の桧隈寺は仮の庵が残るのみで、境内には瓦が散乱してたそうです(・・;)
上から斜めおちり(笑)パート2(⌒0⌒)/~~
今回は6月4日(火)に奈良県高市郡明日香村檜前地区の桧隈寺跡にある於美阿志神社⛩️をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~