718 ケイマンのポルシェ・興津海浜公園・勝浦市興津・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年10月28日 05時21分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
数年ぶりに興津海浜公園に来てみましたぁ〜😊
なんかいつも素通りしちゃうんですよね💦
一応、住所的には勝浦市になるんです興津は。
でも、勝浦というと…
ほとんどの人が朝市とか勝浦タンタンメンや勝浦漁港を連想しますよね😄
実は興津やこの手前の鵜原海水浴場や守谷海水浴場も勝浦市なんですよ〜😊
この日はあまり🎣アングラーがいませんでしたが、この突堤のところは人気なんですよ😄
キスやアジ、まれにクロダイも釣れるらしいです。
向こうに見えている半島が鵜原あたりですかね😊
鵜原より下まで来ると、水が綺麗ですね❣️
興津港から漁船が出港したところを🤳パチリ😊
この先の興津港には家族連れの🎣客がいっぱいでした。
公園の中央は小高くなっており、ベンチが設置されています😃
真ん中には何やらオブジェが…
『繋船柱碑
「三十五反の帆をまきあげて行くよ仙台石巻」
江戸時代、興津港は東北諸藩の廻米交易船(江戸などへ米を送る船)の碇泊地として、また、避難港として多くの船が入港しました。
付近には、今でも「千軒」「三味線堀」などの地名があり、当時の繁栄ぶりがしのばれます。
諸藩の中でも、特に仙台藩はここに役所を設け、連絡や取り締まりにあたりました。
繋船柱は、船をつなぎとめるためのもので、石巻産の粘板岩(仙台石)でつくられています。
以前は、弁天崎の磯際に十数本並んでいたといいますが、現在は「繋船柱碑」として、興津港海浜公園と妙覚寺境内にそれぞれ一本が保存されています。』
へぇ〜江戸時代は、こんな場所から仙台まで米を取りに行っていたんですね〜😵
小高くなったところのベンチからも一枚😃
この日は🌊も穏やかでした〜
駐車場で停める位置を変えて、お約束のローアングルから🤳撮ってみましたぁ〜😄
やっぱりスポーツカーはローアングルで撮るのがカッコいい👍
実は正面にあるのはトイレ🚻なんですけど…
なんか〜いかにもトイレです感がなくて良いですよね〜😆
メジャーなスポットではありませんが…
トイレ🚻もあるし、駐車場もそこそこ大きいし、クルマでちょっと走ればコンビニもあるし…
こんなところにお弁当🍱🍙持ってきて、海を眺めながら食べるのも楽しいと思います😄