フィアット500 (ハッチバック)の由良拓也・ムーンクラフト・レアスポイラーに関するカスタム事例
2018年01月23日 19時52分
FIAT500 30代で中古購入、DIYカスタム精神が湧く!! 希少ムーンクラフトダックテール仕様 個人輸入を少々やっています。
装備予定スポイラー!
レーシングカーデザイナー由良拓也氏Xムーンクラフト
設計、2年前発表された
フィアット500S ハッチバックしか設定がない
かなりレアなスポイラーもう、この世にないかもしれないらしいです。
ギリギリ、一本だけ現存確認でき購入できました!
(wikiより)
1960年代に京都府でレーシングカー・コンストラクター「マクランサ」を営んでいた林みのるがスポーツカー製造計画を立ち上げ、1975年に林の自宅で開発プロジェクトがスタートした。林の従兄弟である林将一が経営するハヤシレーシングのホイール商品がヒットしたことから、プロジェクトの準備資金が投資された。
当時のレース界は海外製マシンの寡占により国産コンストラクターの多くが挫折し始めていた時期だったため、日本のレース界を代表するメンバーが参加した。ボディデザインは林みのると由良拓也(ムーンクラフト代表)、モノコックは三村建治(現エムアイエムデザイン代表)、サスペンションは小野昌朗(現東京アールアンドデー代表)が設計を担当した(三村と小野はマキやコジマのF1プロジェクトを経て合流)。
1976年ごろからスタイリングの研究が始められたが、このころから作業の中心は大阪府のハヤシレーシングの工場に移った。集まったスタッフは大阪の工場街にアパートを借りるも、家に帰るのは風呂に入りに帰る時のみというようなハードスケジュールで開発を進め、開発を開始した当初は4人いた既婚者全員が妻に逃げられたという。ボディの加工作業では、FRP特有の臭いをガス漏れと勘違いされ、近隣が一騒動になった。
製作開始から1年3ヶ月ほどをかけ、1978年初頭に試作車(プロトタイプ)童夢-零が完成し、林みのるが代表を務める童夢が設立された。