718 ケイマンのポルシェ・浄土真宗本願寺派 護念山 證誠寺・木更津市・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年10月22日 05時31分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
神社仏閣⛩シリーズ第89弾は〜
木更津の「浄土真宗本願寺派 護念山 證誠寺」です。
證誠寺って、なんか聞いたことあるなぁ〜🤔って思っている方もいるでしょう😄
そうです、あの有名な童謡の歌詞に出てくるお寺さんですね😊
じゃあ皆んなで歌ってみましょう😊
さん、はい〜
🎶しょう しょう しょうじょうじ
しょうじょうじのにわは
つ つ つきよだ
みんなでて こいこいこい
おいらのともだちゃ
ぽんぽこぽんのぽん
まけるな まけるな
おしょうさんにまけるな
こい こい こい こいこいこい
みんなでて こいこいこい
しょう しょう しょうじょうじ
しょうじょうじのはぎは
つ つ つきよに
はなざかり
おいらのともだちゃ
ぽんぽこぽんのぽん♬
参道に入って直ぐ左手に案内板💁♂️が…
『證誠寺の狸塚
この辺りが昼でも暗い程茂っていた昔のこと、寺の和尚さんが夜中に目をさますと庭の方が大変賑やかです。
そっと節穴からのぞいて見ますと外は月夜で昼間のようです。
折から秋のこととて萩の花ざかり、ところが驚いたことには大小の狸数十匹が輪になり
證誠寺山のペンポコペン
俺等の友達やドンドコドン
と腹を打ちながら踊っています。
和尚さんもついおもしろくなり一緒になって踊りました。
こうして毎晩踊りましたが或夜狸達が全く姿を消してしまったので不思議に思って居りますとかわいそうにもお腹をたたき破って藪の中で死んでいました。
和尚さんはこの友達をあわれに思ってねんごろに葬ってやったのがこの狸塚です。
この伝説が野口雨情先生によって狸ばやしの童謡が生まれ更に中山晋平先生の作曲により今や天下に広まりました。』とありました😊
この案内板をよ〜く見て👀みてください❗️
何か気づきませんかぁ❓
後ろから4行目の上に…
カタツムリ🐌がいましたぁ〜😆
その先には證誠寺の境内図があります😊
境内図では大きな境内のようですが…
実際はコンパクトなお寺さんですね。
参道右手には鐘楼があります😊
鐘楼の鐘の音と狸のポンポコポンの合掌が聞こえたんでしょうかぁ〜🤣
こちらが本堂ですね😊
證誠寺の公式HPには💁♂️…
『江戸時代の初期(17世紀中頃)に證誠寺は誕生しました。
初代住職の了念は、実弟と共に鎌倉より川﨑を経て陸路当地に到着、この矢那川河口の地を選び、この地域に初めての浄土真宗のお寺を建てました。
当時この辺りは街はずれで、樹木がうっそうと繁り、寂しい海岸だったとのことです。
その頃の木更津は、徳川幕府の庇護のもと、木更津船が頻繁に発着する房総半島最大の港町として発展し、多くの商人が全国から集まってきたようです。その中の真宗門徒の人たちが次々に当寺の門徒となり、本堂後方にお墓を建てました。
それらの墓石には、その時期や出身地が彫られており、今や歴史的に貴重な資料となっています。
江戸時代の当寺は寺子屋で、大人も子供も大勢が勉強に来ていたようです。
師匠であった住職を偲んで生徒である筆子達が建てた筆小塚が、境内にひっそりと建っています。
また、五昼夜連続の雅楽演奏による音楽法要が行われるなど、地域の人たちに大変なじまれ、心のより所になっていたものと思われます。
当寺には、開基間もない頃から狸ばやしの伝説があります。
萩や薄の咲き乱れる境内で、中秋の名月に照らされながら、住職と大小百匹ばかりの狸が一緒に、「證誠院のペンペコペン、己等(おいら)の友だちゃドンドコドン」と歌いつつ、幾晩も楽しく踊ったと伝えられています。』とありました。
本堂の彫刻は立派ですね😊
こういうのってホントはもっと間近で見たいです。
さぁ、では狸塚とやらに向かいましょう😃
ちゃんと手入れもされている境内ですね。
こちらが狸塚です😊
狸の陶器でできた置物があります。
狸塚は昭和4年に木更津町南町盛年会が建立したとのこと。
狸が横たわって寝ているような形をしていますね〜
こちらは「筆子塚」といわれるものです😃
参道の境内図には💁♂️…
『(律師白公墓)「寺子屋の師であった当山第六代住職了因法師(律師白公)を偲び、当時の弟子([筆子「ふでこ」)達が建立した塚。
文政年間のもの。』と説明がありました。
こちらの句碑も境内図によると💁♂️…
『「朝蝉の 鳴いている也 爽やかに」<松本斗吟>』とありますが…
松本斗吟って誰やねん🤔
ちゃんと公式HPに載っていました💦
『明治38年、当寺門徒の松本斗吟氏が地元の郷土史『君不去』に狸ばやしの伝説を紹介、大正時代に当地へ講演に訪れた野口雨情先生がそれをもとに作詞、中山晋平先生が作曲し、昭和の初めに大ヒットしたのが、童謡「証城寺の狸ばやし」です。』
ということです😊
そしてこちらが童謡碑で昭和31年の建立です😄
説明によると…
『「野口雨情・中山晋平両先生の直筆が発見されたのを機に昭和31年狸ばやし顕彰会により建立されました。』
さてさて、こちらのお寺さんは「證誠寺」ですが…
童謡に歌われているのは「証城寺」です。
「證」は「証」の旧字ですが、「誠」と「城」はいくらなんでも違いますよね〜🤔
諸説あるらしいのですが〜
1.作詞した野口雨情が、作詞の際に参考にした文献『君不去』でしょうじょうじの表記が間違っており、それに気付かずそのまま紹介してしまったため。
2. 歌詞を読んだ寺の関係者から「住職がタヌキと一緒に踊るなんてことがあるはずがなく不敬である」という抗議があったため。
3. 最初から意図的に城の字を使ったことによる。
証城寺と表記し歌に登場する寺を架空の場所であると位置づけることで、特定の地域の単なる民謡とするのではなく全国の子供たちに歌ってほしいという意図から。
とWikipediaにありました😆
こちらは「親鸞聖人」像ですね😊
浄土真宗の宗祖とされる方ですよね。