車狂♪︎さんが投稿した草ヒロ愛好会に関するカスタム事例
2022年03月23日 23時58分
このアカウントでは私が撮影した草ヒロ、所謂廃車体を1日1台紹介しています。 あくまで趣味なので各メーカーさんや車種に特定の意図や不満を持ったものではなく、個人的な主観で書いているため気分を害してしまうこともあるかもしれません。 自動車が本来の用途で使われていないこと、廃棄されていることに対して不愉快に思われる方はご覧にならないことをお勧めします。 また悪戯や盗難防止のため、草ヒロ個体の詳細や所在地等に対するお問い合わせには、如何なる方法でもお答えできませんのでご了承ください。
春のバス祭り!群馬編(9)
本日の草ヒロ(廃車体)シリーズ
今回は“マツダ T1500 TUB”です😄
(ピンボケですみません。)
峠道を流していると目に飛び込んできたのはなんとオート三輪ではありませんか。
実はこの個体は昔からあるようで、草ヒロ界隈ではかなりの有名個体となっている1台です。
たまたま発見したので「まさかこんなところにあったとは……。」と思いました。
道沿いに置いてあり、撮影しやすい立地にあるとはいえ、当のオート三輪は廃材の山の一部に埋もれてしまってあまり良い雰囲気ではありません。
一見ジメジメして風通しも悪そうな場所なのに朽ち果てないのは、やはりこの当時の鉄板が頑丈だったからでしょうか。
なお、この頃のマツダの商用車は昭和30年代のマツダ車はB360、K360、R360、
T600、T1500、T2000、D1100、D1500、D2000、E2000とエンジン排気量が一目瞭然な分り易いネーミングで展開していました。
こちらのT1500は昭和30年代に登場した1トン積の3輪トラックで、その歴史を遡ると最初は上にもあるT1100という名前で発売されており、後の1962年にこのT1500に排気量を上げてモデルチェンジされるのでした。
その後1970年代初頭まで販売され、日本の高度経済成長を支えた名車です。
3輪トラックは、そのエンジンサウンドから“バタバタ”や“バタコ”等の愛称(?)があったと聞きますし、ミニカー界隈の話で言えばブリキが主要だった当時から現代まで、多くのメーカーがモデル化するほど愛されており、今や旧車会のアイドルと言っても過言ではないでしょう。
フロントエンブレムです。
しっかりと全部の文字が残っています。
リア側はこんな感じ。
発見当初はキャビンの部分だけかと思いましたが、よく見ると荷台のフレームがしっかりと残っていますね。
床面やアオリは無くなっていましたが、このフレームが残っているおかげでT2000との区別がつきました。
T2000の全長が約6メートルに対してT1500は約4.3メートルですから、前者ほどは長くないと判断したので。
車内を覗くとステアリングやシートは無くなっていますが、計器やスイッチ類はしっかりと残っていました。
新緑が美しい峠道に佇むオート三輪でした。
おまけ
オート三輪のある山を散策(と言っても とても中には入れないので公道からですが……。)してみると、3輪のすぐ脇には1970年代トラック界のベストセラーである ふそうTシリーズのキャビンが転がっていました。
とても綺麗なブルーメタリックの塗装が印象に残ります。
その近くには車種不明の軽トラもありましたが、こちらはそこまで古くなさそう。
さらにはこれまた車種不明……。
緑色のトラックのキャビン。
なんとなく日産クリッパーかな?と思いましたが、確信が持てないため車種不明とします。
おまけ2
この辺も写真の枚数的に単品ではご紹介できないのでオマケで登場していただきます。
顔面が切り取られてしまったバスです。
オート三輪たちがあるヤードの向かいにありました。
ここのスペースには現役の軽トラや産廃業者さんのトラック等が停められていたので、こちら側はヤード兼オフィス(?)といった感じでしょう。
こちらも道からの撮影です。
そのバスの向かいにはまたまた顔面が切り取られたバス。
車体側面には「フェニックス2号」と書かれており、元は検診車か何かかな?と思います。
もちろん車種は不明です。
おまけ3
今回はメインよりオマケ画像の方が多いです……(^^;
こちらは上のヤードからは少し離れた場所。
ここも産廃業者さんのヤードのような雰囲気でしたが有名物件です。
まずパッと目に入るのはこちらのバスです。
国鉄からJRに引き継がれた頃の車両で、車種はいすゞ BU10です。
ちなみにこの型はボディは日野で製造されており、エンジン等はいすゞが担当するという“日野車体のいすゞ車”という今では考え難い1台です。
屋根にはSJジムニーが乗っかっており、ヤードの壁として置かれた感じがします。
横の廃車山のてっぺんに鎮座するのはB310サニーでした。
他にも色々ある様子でしたが、草が茂っており、車種が分かるのはこの1台のみでした。
この一帯は廃車ヤードが多数存在しており、探せばまだ他にもありそうな雰囲気でしたが、産廃ヤードの雰囲気はあまり好きではないのでこの足で帰路につくのでした。