フーガの大阪府羽曳野市壺井地区・壺井八幡宮・壺井神社⛩️(壺井権現社)・樹齢約1000年の神木の楠の木・ローガンに関するカスタム事例
2019年06月08日 16時58分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんにちわ(⌒0⌒)/~~
今回は6月5日(水)にPLの大平和祈念塔をバックに撮った後に、ふと神社⛩️の案内版を見かけたので立ち寄り参拝とバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
斜めでっかいおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は大阪府羽曳野市壺井地区になります(⌒0⌒)/~~
神社⛩️の名前は『壺井八幡宮』と言います(⌒0⌒)/~~
壺井八幡宮は河内源氏発祥の地らしいです(⌒0⌒)/~~
まずは参拝に急な50段の階段を登りました(⌒0⌒)/~~
階段を(;´Д`)ハァハァ(;´Д`)ゼィゼイいいながら登りきると、右手に樹齢約1000年の神木の楠の木が迎えてくれます(⌒0⌒)/~~
正面に壺井八幡宮が鎮座しています(⌒0⌒)/~~
壺井八幡宮の御祭神は『誉田別尊』『仲哀天皇』『神功皇后』で(⌒0⌒)/~~
配祀神は『玉織姫』『武内宿彌』になります(⌒0⌒)/~~
鎌倉幕府の創始者源頼朝が、八幡太郎源義家公の4代目の孫であり、室町将軍家足利氏、更に徳川将軍家も義家公の流れであるそうです(⌒0⌒)/~~
この義家公の祖父頼信公が壺井に館を構えたのが寛仁4年(1020年)のことで、河内源氏の祖となるそうです(⌒0⌒)/~~
康平7年(1064年)源頼義(河内源氏初代、頼頼信の子)が前9年の役に出陣すると際、戦勝を祈願した京都の岩清水八幡宮の神霊を勧請して、壺井にある私邸の東側に祀ったのが始まりらしいです(⌒0⌒)/~~
一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信、頼義、義家の3代にわたって当地に移住し、河内源氏と呼ばれるようになったそうです(⌒0⌒)/~~
大体そう書いてます(笑)
壺井八幡宮の西側には壺井神社⛩️(壺井権現社)があります(⌒0⌒)/~~
壺井神社⛩️は天仁2年(1109年)に義家の六男・源義時が、頼信、頼義、頼家の霊を祀った神社⛩️になります(⌒0⌒)/~~
壺井神社は京都の六孫王神社⛩️や摂津の国の多田神社⛩️と並ぶ源氏三神社⛩️の一つとされています(⌒0⌒)/~~
階段バックにでっかい斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
社務所で今年初の交通安全ステッカーオカンに買わせました(笑)
自分自身の御守りは自分で買う物では無くて人に買ってもらう方がご利益があるそうなので(^_^;)(笑)
壺井八幡宮には、義家が愛用したとされる『黒葦威胴丸』(重要文化財)『天光丸の太刀』(重要美術品)木造八幡三神座像や若宮神挫像(大阪府指定有形文化財)などがあります(⌒0⌒)/~~
と!書いてます(^_^;)
源頼義は河内源氏の東国進出の拠点として鎌倉にも岩清水八幡宮を勧請した(鶴岡若宮、現鶴岡八幡宮)(・・;)
頼義の五世孫である、源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、壺井八幡宮は河内源氏の祖廟にして当地に土着した河内源氏である、石川源氏の氏神になったそうです(・・;)
アップ真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
南北朝時代から戦国時代に度々兵火にかかり荒廃し、現在の社殿は、元禄14年(1701年)徳川綱吉の命により柳沢吉保(江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名)が再建したそうです(⌒0⌒)/~~
今回は6月5日(水)に大阪府羽曳野市壺井地区の壺井八幡宮を参拝と入り口をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~