フーガの川原寺跡・弘福寺(別称川原寺)・日本初の写経場に関するカスタム事例
2018年10月02日 14時10分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんにちわ(⌒0⌒)/~~
先週火曜日にオカンと威徳院等回った最後に川原(かわら)寺跡と弘福(ぐふく)寺をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
川原寺跡は奈良県高市郡明日香村大字川原にあります(⌒0⌒)/~~
おちり(笑)連チャン(⌒0⌒)/~~
かつては飛鳥寺・薬師寺・大官大寺と並び『飛鳥の四大寺』の一つに数えられた大寺院だったそうです(⌒0⌒)/~~
平城京遷都の時に三大寺(飛鳥寺・薬師寺・大官大寺)はその本拠を平城京に移したが川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまったそうです(⌒0⌒)/~~
川原寺跡は国の史跡に指定されてます(⌒0⌒)/~~
このみどりの部分が川原寺跡になります(⌒0⌒)/~~
奥に見えるのは以前に紹介した橘寺です(⌒0⌒)/~~
川原寺跡は七世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われるが、正史『日本書記』にはこの寺の創建に対する記述が無いそうです( ̄▽ ̄;)
色々議論されていて未だに解明出来ないので(謎の大寺)と呼ばれているそうです(⌒0⌒)/~~
川原寺は中世以降衰微し廃寺になり( ̄▽ ̄;)
現在は後ろにチラッと見えてる真言宗豊山派の弘福寺(ぐふくじ)(別称川原寺)に法燈されてるそうです(⌒0⌒)/~~
弘福寺は川原寺が建久2年(1070年)と延久4年(1191年)に焼失し(・・;)
鎌倉時代に再興されたが当時の勢いは無くて室町時代末期に雷火で三度焼失し廃寺に( ̄▽ ̄;)
その後江戸時代中期に中金堂跡に弘福寺が建立され現在に至ってるらしいです(・・;)
オカン写ってる(笑)
弘福寺では天智天皇2年(673年)3月の記述に『書生(書き手)を集めて川原寺で初めて一切経を書写した』この記事は、日本における一切経書写(写経)事業初見として著名なものであるそうです(⌒0⌒)/~~
おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
よって日本初の写経場として写経道場の受付を朱印と共に受け付けています(⌒0⌒)/~~
おちり(笑)パート2
川原寺跡には現在も礎石が残っています(⌒0⌒)/~~
今回は奈良県高市郡明日香村大字川原の川原寺跡と弘福寺(別称川原寺)をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~