グランドチェロキーのモーニングミーティング・そごう横浜店・樹木希林・内田裕也・ローガンに関するカスタム事例
2020年01月20日 00時26分
2020/1/19 日曜日。
今日はオートバックス東雲で行われたモーニングミーティングに参加してきました。
朝6時半に鴻巣を出発し、7時40分頃にオートバックス東雲に到着。
会場入り口にはDAMDのジムニーが並んでいました。
ヴィンテージっぽく見せるためか、あちこちに小さい錆がラッピングされていました。
ディフェンダーを意識した外装です。
JAOSのデモカー。
インスタでデモカーをアップしたら、ボールペンを頂きました。
タイガーオートのデモカー。
会場に来ている参加者の車もカスタムされた車が多かったです。
駐車場をチェックしていると派手なボルボを発見。
何とちゃきんぽさんのみん友さんのNAOBUUさんでした。
暫くするとタイガーオートのデモカーの隣の駐車スペースが空いたのでイベントスタッフの許可を得て、車を移動。
JAOSのナンバープレート隠しを装着して、デモカーに偽装(笑)
突然現れた偽デモカーを訝しげにチラ見するJAOSスタッフ。
午前10時前後にイベントは終了。
次に向かうのはそごう横浜店。
駐車場からそごうに向かう途中にはテスラが展示されていました。
そごう横浜店6階のそごう美術館では『樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展』が開催されていました。(1/26まで開催中)
10代の頃の樹木希林。
20代の頃。
1973年に内田裕也と結婚した頃。
1974年。
シトロエンが好きだったようです。
1974年、『寺内貫太郎一家』で老け役を演じるために髪の毛を脱色したそうです。
てっきりカツラだと思っていました。
私や魔神牙悪絶斗さんには染みる言葉です。
内田裕也はロカビリーからキャリアをスタートして、グループサウンズでは内田裕也とフラワーズを率い、大阪からタイガースを発掘。
ニューロックではグループサウンズの残党を集めてフラワー・トラベリング・バンドをプロデュースしたり、ロックフェスを開催するなど、自らを『ロック馬鹿』と称していましたが、樹木希林は内田裕也よりもロックな生き方を貫いた人でした。
そごうを出る時にはお昼を過ぎていたので食事をしようと、久々に午後の大黒PAに行きました。
BBPメンバーはいませんでしたが、
akkun0101さんや、
s281兄妹さんに久々に会うことが出来ました。
しかし大黒PAの食堂や売店は改装中で休業していたため、蓮田SAへ向かいます。
蓮田SAに到着し、白いハマーの隣に駐車。
『蓮の花』というラーメン屋さんで柚子塩ラーメンを食べました。
〆のデザートは抹茶&バニラソフト。
今日も充実した1日を過ごすことが出来ました。