718 ケイマンのポルシェ・三里塚記念公園・宮内庁下総御料牧場・カウントダウン1に関するカスタム事例
2023年01月12日 06時49分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
こちらは「三里塚記念公園」の駐車場🅿️です😊
今日はpic数が多いので、今までなら前編後編にするところですが…
もう回数がないので一挙大放出しちゃいます😆
三里塚というと〜
最初に思い浮かぶのは「三里塚闘争」ですね。
地元住民と新左翼による成田空港✈️の建設及び存続において勃発した闘争ですね。
1966年に始まり今も継続中です。
ですから、成田空港✈️周辺の警備は厳重🚨🚓なんですよね😊
さて、こちらの「三里塚記念公園」は三里塚闘争とは関係なくはないのですが…
この地域には、かつて「宮内庁下総御料牧場」があったわけですが…
新東京国際空港(成田空港✈️)の建設に伴い、昭和44年に栃木県塩谷郡高根沢町に移転したんです😊
明治の初めから三里塚の地にあって、我が国の畜産振興のパイオニアとして輝かしい足跡を残してきた御料牧場の在りし日の姿を忍び、御料牧場の名を永くこの地にとどめるため、成田市は、御料牧場事務所のあったこの場所に「成田市三里塚御料牧場記念館」を建設したのです☺️
両サイドは桜🌸並木です。
春には綺麗でしょうね。
三里塚記念公園の入口にある案内板💁♂️です😊
『花と馬の牧場として多くの人々に親しまれてきた「旧宮内庁下総御料牧場」が、成田空港の建設に伴い昭和44年、栃木県に移転しました。
この公園は、その長い歴史と思い出を後世に残すために設置されました。
また、園内には、三里塚ゆかりの人々の碑なども設置されています。
▪️貴賓館
下総牧羊場の事務所として使用されていた建物が、明治21年の御料牧場の開設に伴い、この地に移築されました。
大正8年には貴賓館として内部を大改装し、各国の大公使を招待する園遊会の会場として利用され、また、皇族がお越しになられた際の宿舎としても使用されていました。
▪️防空壕
昭和16年12月に完成したと思われます。
長らく封鎖されていましたが、平成22年度に観覧化のための工事が行われ、平成23年4月から一般に公開されるようになりました。
▪️成田市三里塚御料牧場記念館
「旧宮内庁下総御料牧場」の100年にもおよぶ、わが国の畜産振興の輝かしい実績をのこすための施設として、御料牧場事務所のあった場所に建設されたものです。』
公園内を進んでいくと、どんつきにある「成田市三里塚御料牧場記念館」です☺️
めっちゃ雰囲気のある建造物ですよね。
記念館の入口横にも案内板がありますが…
書いてある内容はほぼ同じでした😆
こちらの案内板には、「馬車」の絵が描かれていますね。
記念館に入ると…
先ず目👀に飛び込んでくるのが、こちらの「馬車」です☺️
実際に天皇・皇后両陛下の使われていたものなんだとか。
こちらの記念館は説明員の方が一緒に周りながら、丁寧に説明してくれるんですよ〜😄
こちらが、その説明💁♂️です。
『普通車4号(2頭曳)
この馬車は、天皇・皇后両陛下が、行幸啓の際に使用された供奉車で、駐日外国特命全権大使参内の際の随員車として、また、駐日外交団を御料牧場で接伴する際にも使用された。
船底中型の4人乗りで、明治42年3月(1909年)に日本で製作されたものです。
このたび宮内庁の特別な取り計らいによって、記念館に展示できるようになった。』
車内を覗くことが出来るのですが、かなり狭い造りでした😊
こちらはお召し機用の特別調度品です☺️
要は、天皇陛下の専用飛行機✈️の内部ですね。
頂いたパンフレットによると💁♂️…
『本調度品は昭和46年9月、天皇・皇后両陛下がイギリス・フランス・オランダなど、ヨーロッパ各国をご訪問の際、日本航空株式会社がお召し機「DC-8-55」に合わせて特別に発注し、取付けたものです。
その後、昭和50年9月のご訪米時にも、本調度品を使用しました。
天皇・皇后両陛下の外国ご訪問など、皇室外交によってもたらされた成果は誠に大きいものがあります。
とくに、各国間の経済や文化の交流、国民相互の理解や親善を深めるうえで、重要な役割を果たされたことは、我が国の外交を振り返ってみても明らかです。
展示資料は、御座所用御座、御食事用テーブルおよび座席、御寝室用ベッド、姿見、衣装室などです。』
座席💺などの生地の刺繍🪡が凄かったです😊
こちらは機内の天皇・皇后両陛下のベッド🛌ですね〜
そもそも✈️機内にちゃんとしたベッド🛌があるだけで凄いですね😆
展示室の全景です☺️
パンフレットで、御料牧場の概要を見ると…
『明治時代のはじめに、下総御料牧場の前身である下総牧羊場と取香種畜場の用地選定にあたり、政府が出した条件は、
①青草に富むこと、
②樹林地に恵まれていること、
③物資の輸送に便利な所、
の3点でした。
この三里塚周辺地域が、これらの条件を充たす自然環境と地理的環境を備えていたことは言うまでもらありません。
このコーナーは、御料牧場のあらましを示すために、閉場前の御料牧場の地形模型を配して、牧場や施設などを紹介。
さらに、牧場をとりまく環境を示す資料として、周辺の植生分布図、気象関係図、それに昭和初期の成田鉄道路線図などを展示してあります。』
とありました。
こちらの箱は、御料牧場で搾った牛乳🥛を牛乳瓶に詰めてこの箱に入れ…
左側に展示されているブリキ箱の中に氷🧊🧊🧊を入れて牛乳瓶の上に乗せ輸送していたとのことです😊
こちらが実際に使用されていた「宮内庁下総御料牧場」の看板です☺️
こちらは昭和天皇・皇后と先程の馬車の写真パネルです☺️
CTユーザーの皆さんはご存知かどうか分かりませんが…
実は酪農の発祥というと、北海道を思い浮かべる人が多いと思いますが…
実は酪農の発祥地は千葉県なんですよ😆
また、ジンギスカンというと…
これまた北海道のイメージがありますが、これも諸説ありますが千葉県のココ成田市が発祥と言われているんですよ〜😄
ココ御料牧場は、牧羊が日本で最初に始まった場所であり…
当初は羊🐏も綿羊のために飼われていたものが、その後は食用に発展していったという歴史があるんだとか。
で、この四角いテーブルみたいなものは…
ジンギスカンを焼くテーブルとのことです😊
実際に各国大使などを招いた際に、このテーブルのようなものでジンギスカンを調理したとのことでしたぁ〜
「三里塚御料牧場記念館」で、貴賓館や防空壕を見たいと依頼すると…
両方とも見せてくれるシステムになっているようです😄
私もお願いしたところ、貴賓館はまた別の方が案内していただけるとのことでした。
こちらの貴賓館の前にも案内板💁♂️が…
『建物の沿革
この貴賓館は、明治8年に創設された下総牧羊場の最高責任者として雇われたアメリカ人アップ・ジョーンズの官舎として、十倉村両国高堀(現富里市)に建てられたものです。
明治12年に、彼が退職したため、下総牧羊場の事務所として使用していましたが、下総牧羊場が取香種畜場と合併の後「宮内庁下総御料牧場」と改められ、明治21年に三里塚の此地に移ったときに、一緒に移築されました。
その後、大正8年に新しい事務所が完成したのを機会に、内部を大改装し貴賓館として、各国の大公使を招待する園遊会場や、皇族がおいでになる際の宿舎に生まれ変わったものです。
建物は、木造カヤぶきの平屋建てで、外見は和風、内部装飾は洋風を取り入れた和洋折衷式となっていて、明治中期の建築として貴重なものです。
なかでも、ギリシャ風のホールは、貴賓館にふさわしい豪華さを誇っています。』とありました😄
案内の方に門を開けて頂き、こちらも丁寧に説明しながら案内をしていただきました😄
室内には入れないので、外からの見学のみになります😊
綺麗な状態で保存されていますね😊
普通は、見学料を徴収されてもおかしくないものですが…
成田市は太っ腹ですね😆
茅葺き屋根の素敵な日本家屋です☺️
こんな素敵な日本家屋に住んでみたいですね〜
説明の方に、このアングルが一番良いよと教わった構図です😊
確かに建物全体が映っており、良い感じですね❣️
同じ感じでもう一枚🤳パチリ😄
庭も手入れが行き届いており、枯葉🍂一枚落ちていませんでしたぁ〜😊
こちらは建物の裏手になります。
まさに和洋折衷ですよね😊
こちらは完全に洋式です。
ガラス窓は大正ガラスといって、ちょっと歪な作りのもの。
ただし、割れてしまった箇所もあり…
そこには現代の普通の板ガラスを嵌め込んでいるんだとか😄
今の板ガラス越しに内部を見てみると…
天井からシャンデリア風の電灯が下がっており、床は板の間でした😃
向こう側には日本家屋のガラス戸が見えますね。
貴賓館の説明を受けた後、いよいよ防空壕へ。
こちらが外観です😊
といっても、元々の防空壕にはこの建物は存在していません。
あくまで、一般に公開するために作られた上屋になります。
防空壕の説明がありました😊
正式には「御文庫」と呼ぶそうです。
説明員の方によると、昭和天皇が今の上皇陛下のために、この防空壕(御文庫)を急ピッチで作らせたんだとか。
というのも、皇居には正式な「御文庫」があるが、皇太子(現上皇陛下)が御料牧場にお越しの際に空襲を受けた時に入るための防空壕として作られたのだそうです。
こちらが、「御文庫」の入口ですね😊
ここは長い間、コンクリート板を敷き、その上に土を被せて封鎖していたらしいです。
平成22年度に観覧化のため、上屋を建築し見学できるようしたんです。
いやぁ〜
なんかドキドキしちゃいますね💓😆
皇族のためだけに造られた防空壕(御文庫)に潜入します❗️
こちらは当時の配電盤でしょうか❓
蓋の下に小さな黒いプレートが貼られています。
昭和16年と刻まれていました😊
通路部分です☺️
こちらのコンクリートは、スーパーコンクリートというそうで…
強度は45〜69(N/mm2)ということですが、よく分かりません。
現在では30階以上の高層ビルに使用する強度だそうです😵
さらにこのコンクリートの上に4mmの漆喰が塗られているんだとか。
鉄の扉🚪が時代を物語っていますね😊
このサビサビ状態が凄いです❗️
サビが被服に付くので気をつけてくださいと…
細かな配慮までしてくれました😊
こちらが「御文庫」の内部です☺️
広さは3.4坪とのことです。
実際は、ココは一度もご使用にはならなかったようですね。
電灯も当時のものです。
こちらは当時の電灯のスイッチです😄
観覧用にアクリル板で覆ってあります。
こちらは当時のコンセント🔌ですね😊
同様にアクリル板で覆われており、ちゃんと当時のままの状態を観覧出来るようにしてあります。
壁の厚さも相当なものですよね〜
ちゃんと飾り面取りもされているんですね😊
こちらは「爆風逃し」という換気口です。
左右に同様のものがあります😊
主室に風圧がかからないように造られたものです。
爆風逃しの壁にあった、こちらも当時の配電盤の跡でしょうか🤔
こちらのサビはかなりきていますね。
これも通路にあった電灯の跡でしょうか🤔
壊れたままの状態で保存されています。
こちらが、爆風逃しの外側部分です😊
これが対角線上の反対側にも同じように設置されていました。
いやぁ〜有意義な時間を過ごして駐車場まで戻ってきましたぁ😆
大変貴重なものを沢山見学出来ましたし、勉強になりました❣️
いよいよ明日がラスト投稿です☺️
よく999回まで辿り着いたもんだニャ〜