フーガの奈良県高市郡明日香村平田・吉備姫王墓(檜隈墓)・猿石に関するカスタム事例
2018年11月07日 17時33分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は10月の最後の日曜日に吉備姫王(きびのひめのみこの)墓の周辺で撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県高市郡明日香村平田にあります(⌒0⌒)/~~
車の奥の木柵に囲まれているのが吉備姫王墓になります(⌒0⌒)/~~
吉備姫王は(きびひめのおおきみ・きびひめのみこ、生年不詳ー皇極天皇2年9月11日(643年10月28日))は、飛鳥時代の日本の皇族(王族)です(⌒0⌒)/~~
吉備姫王の墓名は、檜隈墓(ひのくまのはか)と称します(⌒0⌒)/~~
吉備姫王墓へは、この道を入って行きます(⌒0⌒)/~~
吉備姫王は、孝徳天皇と皇極(斎明)天皇の生母にあたり、『日本書紀』によれば、吉備姫王は(吉備嶋皇祖母命(きびしまのすめみおやのみこと))は、皇極2年9月に亡くなり檀弓岡(まゆみおか)に葬られたそうです(⌒0⌒)/~~
突き当たり左を向くとお墓の正面になります(⌒0⌒)/~~
また『延喜式(えんぎしき)』諸陵寮(しょりょうりょう)には、欽明(きんめい)天皇陵と同じ領域内に墓があると記されているそうです(⌒0⌒)/~~
いつもの札には檜隈墓になってます(^_^;)
石碑は吉備姫王てなってます(⌒0⌒)/~~
正面から入って門から覗くと(・・;)
大概の人が見たり聞いたり習ったりした事のある(^_^;)
墓域内には江戸時代に欽明天皇陵の南側の字イケダの水田から石像4体が見つかり、猿石と称されています(⌒0⌒)/~~
門扉から右側に2体(⌒0⌒)/~~
門扉から左側に2体計4体の猿石があります(⌒0⌒)/~~
吉備姫王のお墓参りしてから、ススキを透かしてパチリ(⌒0⌒)/~~
ススキ越しの斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
前に見える古墳が欽明天皇陵になります(⌒0⌒)/~~
以前にアップした天皇陵です(⌒0⌒)/~~
猿石について(⌒0⌒)/~~
ユニークな人面石像であるが、猿ではなく、渡来人を像ったものであると言われているそうです(⌒0⌒)/~~
今回は奈良県高市郡明日香村平田にあります。吉備姫王のお墓(檜隈墓)と猿石周辺で撮りました(⌒0⌒)/~~