セレナの歴史探訪・どうする家康・新城ラリーに関するカスタム事例
2023年02月27日 22時45分
ただのクルマ好きおじさんです。 車見てるだけで幸せなタイプです! ミニサーキットとレンタルカートに出没します。 速く走らせる系の車が好きです! 水曜どうでしょうマニア、ゴリパラキッズです! 令和3年歴史にカブレ、地元の城、寺めぐりを始めました! そして令和4年…山登りも始めそう…
今日は3ヶ月に1回の通院の日で年休を取りました!
昼過ぎに帰ってきて、天気が良かったので、
ミスターどうでしょうの東三河歴史探訪
ここは新城市と旧宝飯郡一宮町の境にある旗頭山です。
この小高い山には6世紀頃の古墳群があり、当時の生活を垣間見ることができます。
この山の頂上からは、三河湾から
豊川市、新城市街まで見え、
遠くは南アルプスまで見えます。
ここは、元亀4年(1573年)武田信玄が野田城を攻めた時、籠城する城主菅沼定盈から助けを求められた徳川家康が、三千の兵を連れて助けに来た時に、野田城を眺めた場所です。
この時武田の軍勢は三万といわれており、その人数に囲まれている野田城をみた徳川家康は戦力差に愕然として、武田の軍勢が豊川を渡り家康軍を攻めようとすると、吉田城に逃げ帰ってしまいます。
その中でも野田城は奮闘して1ヶ月持ち堪えた後降伏したことで、武田信玄から菅沼定盈は家臣にならないかと誘われますが、これを断ります。
普通なら殺されてもおかしくない状況ですが、徳川方から武田方に裏切った国人が徳川に取られている人質と交換され、命は助かります!
本来なら武田信玄は、ここから岡崎方面へ攻める予定だったと思いますが、病が悪化して鳳来寺に寄った後、長野県に入ってすぐに死んでしまいます。
つまりこの野田城がなければ、1か月の足止めがなく、徳川軍と武田軍が岡崎あたりで戦になる可能性があり、歴史が少し変わっていたかもしれません。
旗頭山麓まで
🚗豊川インターから約10分
🚃JR飯田線江島駅から徒歩約30分
頂上まで徒歩約15分 🦁
さて今週末は新城ラリーです!
SSの名前は鬼久保とか、雁峰とか、船着の地名だけど、せっかく歴史ある場所の近くを通るのだから、鬼久保をSS仙丸の恨み、雁峰を SS走れ強右衛門、船着をSS鳶ケ巣山砦の奇襲とかにしたら良いと思うのは、にわか歴史好きの車好きオヤジだから思うんだろうな…
オヤジの戯言でした…