R1のJR後藤寺線 船尾駅・キハ40形・Bトレ 名鉄7000系に関するカスタム事例
2020年02月14日 20時59分
ユーノス ロードスター B2リミテッド&スバル R1 iに乗ってます。どうぞよろしく(°▽°) CTはクルマに関する日記として投稿してます。 無言フォロー失礼します🙇 フォローやいいねの挨拶は不要です。僕も殆どしません。
今日も昨日にも増して良い天気で暖かかったですが、自宅でのんびり過ごしてました。
行きたい所が思い付かなかったんですよね(^^;
そんなわけで、午後の遅い時間にウォーキングがてら近所を散策。
梅が綺麗に咲いてました。菜の花も綺麗でしたよ♪
自宅からテクテク歩いて辿り着いたのは、JR九州 後藤寺線の船尾駅。
ウォーキングがてら、チェックインラリーのチェックをしに来ました。家から一番近い駅なのに、まだチェックしてなかったんですよねw
駅前の光景。
石灰鉱山の敷地内にある駅なので、駅前の道路は常に大型トラックやトレーラーが頻繁に行き交っており、徒歩だと非常に危険。スピードもかなりのもんです。おまけに石灰の粒子が相当舞っています((( ;゚Д゚)))
JR九州 後藤寺線は、日田彦山線の田川後藤寺駅と、福北ゆたか線の新飯塚駅を結ぶ全長13キロ余りの短いバイパス線です。
日中は1輌編成の単行列車がカタコトとノンビリ走ってますが、飯塚市や福岡市内への通勤通学の利用が多く、意外と運行本数は多いです。
田川出身のバカリズムさんが、高校時代に通学で利用していたそう(*´-`)
後藤寺線の歴史を辿ると、設立発起人は麻生 太郎副総理の曾祖父である麻生 太吉氏で、元々は船尾山の石灰鉱山から石灰石を輸送する為に造られた貨物線が前身となっており、周辺の私鉄線もひっくるめて国が買収し官営化した路線です。
写真左手は、以前駅舎が建っていたと思われる跡。右手には引き込み線があったと思われる空き地が広がっています。
国に買収される前は、「産業セメント鐵道」という会社が路線の経営を行っていて、周辺には当時の遺物が残っています。
ちなみに、産業セメント鐵道の社長は、麻生 太郎副総理の父親である麻生 太賀吉氏です。
新飯塚行き各駅停車のキハ40形がやって来ました♪
後ろには香春岳が、一の岳から三の岳まで綺麗に見えます(^-^)
石灰の粉塵を舞い散らせながらキハ40が去って行きました。
船尾駅からは鉱山会社の私有地の中を走り抜け、先日訪れた筑前庄内駅へと向かいます。
後藤寺線は全国のJR線でも珍しい、私有地内を通る路線でもあります。
朝夕は運行本数も増えますね。
この駅の利用者は、ほとんどが鉱山の従業員の様です。
かつて駅舎があったと思われる場所。
船尾駅から少し離れた所に、「産業公園」と書かれた石碑の様な物があり、そこから急な階段が小高い山の上へと続いています。
階段を上がりきると、神社に辿り着きました。鳥居の隣には、立派な慰霊碑もありました。戦没者の慰霊碑?
「産業セメント鐵道株式會社」とあります。国鉄になる以前の後藤寺線に関わる施設の様です。
広場から少し外れた薮の中に、何やら不思議なコンクリートの構造物がありました。
何だろう?と思って近付いてみたら…
側面に「退避壕」と書かれています。
どうやら現在は神社と広場になってるこの場所も、かつては鉱山だった様です。
という事は、あの慰霊碑は鉱山で殉職された方々を祀る為の碑だったのか。
今回ここに来るのは二度目ですが、前回来た時に判らなかった事が、これでようやく解ったような感じがしました。
先日届いていたBトレインのキットを組み立てました♪
「名鉄7000系パノラマカー1次車(白帯)」
やっぱり1000系があるなら、コレも持っとかないとね(°▽°)
大きさはこんな感じ。
ジャンパ詮がボディと同じ色だったので、油性マジックで塗り塗りしました。
で、全車指定席 内海(うつみ)行き特急が完成🎉🎊
白帯が引かれた編成は、全席指定の特急を表すものですが、普通に各駅停車にも運用されてました。
ちなみに白帯は「しろおび」ではなく「はくたい」と、社内では呼んでました。
新旧パノラマカー(*´∀`)♪
7000系は二階に運転席があり、側面にある梯子を登って運転席に入ります。
運転室は非常に狭くて天井が低くく、運転士は大変みたいでしたね。
ヘッドライトとテールライトを兼ねた前照灯の横にある左右の⊂型の部分には、油圧ダンパーが組み込まれていて、踏切事故等で車と衝突した時に展望席の乗客への被害が低減されるよう考慮してあります。
試運転も問題無し♪♪
これで欲しかった車輌はあらかた揃ったので、今後はジオラマ造りに重点を置こうかと思います(´∇`)