ロードスターのドライブ・田原坂公園に関するカスタム事例
2020年02月25日 02時29分
ユーノス ロードスター B2リミテッド&スバル R1 iに乗ってます。どうぞよろしく(°▽°) CTはクルマに関する日記として投稿してます。 無言フォロー失礼します🙇 フォローやいいねの挨拶は不要です。僕も殆どしません。
「道の駅たちばな」から、更に国道3号線を進んで、山鹿灯籠の街を抜けて
スイカの名産地〜♪を過ぎて
阿蘇方面へ向かうつもりでしたが、気がふれて…いや、気が変わって、以前から見学したかった「田原坂公園」へやって来ました。
西郷隆盛率いる「薩軍(旧薩摩藩士を主とした反政府軍)」と「官軍(明治政府軍)」が戦った日本最大の内戦「西南の役」最大の激戦地です。
雨は降る降る じんば(人馬)は濡れる 越すに越されぬ田原坂
到着と同時に閉館した資料館…(T-T)
「弾痕の家」
田原坂の戦いに巻き込まれた民家の蔵をモデルに復元したものです。
凄惨を極めた田原坂 吉次峠の戦いは、後に日本赤十字社となる「博愛社」が創立されるきっかけとなりました。
創設者の佐野 常民は、佐賀の七賢人の1人です。
民謡「田原坂」は、日露戦争の戦意高揚の為に作られた歌だそうです。
明治政府側が建立した「田原坂崇烈碑」
読みましたが、まさに「勝てば官軍」な内容でした。
田原坂の大楠。
傍にある銅像は、民謡 田原坂の歌詞に登場する「馬上の美少年」です。
実際に田原坂を途中まで歩いてみました。
田原坂は一の坂 ・二の坂・三の坂とあり、距離は1.5キロ程あります。僕が歩いたのは三の坂です。
今は長閑な農道ですが、戦争当時の官軍の兵士や薩軍の兵士達は、どんな想いでこの坂を登っていたかと思うと、ひどく切ない気持ちになりました。
道沿いにには所々に慰霊碑が建っており、現在でも丁寧に供花されて大切に守られていました。
三の坂からの風景。
薩軍と官軍どちらが善でも悪でもなく、一国の社会や価値観が急激に変わろうとしていた時代の歪みや隙間が、 悲惨な内乱へと向かわせてしまったのかと、田原坂からの長閑な景色を眺めながら考えてました。
様々な過去の歴史がある上に、現在の僕らの毎日があるのだなと思い、慰霊碑に一礼してきました。
次回はもっと早い時間に来て、資料館見学と田原坂踏破をしたいと思います。
ちなみに田原坂は熊本最恐の心霊スポットと言われてますが、僕は怖いというより神聖な場所のように感じました。
夜は行ってはいけないとは思いますが…(^^;
帰路は、大観望→小国→日田→東峰村→添田を走り抜けて
彦山駅にちょっと寄って…
無事に自宅へ到着♪さすがに暗くなったら寒いのなんの(笑)
久しぶりにちょっと遠出で楽しかったです(*´∀`)♪