フーガの奈良県高市郡高取町市尾地区・市尾墓山古墳・蘇我氏を滅ぼした氏族・巨勢大臣男人(こせのおおおみおひと)・ローガンに関するカスタム事例
2019年07月20日 09時19分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は7月17日(水)に古墳をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
怪しい雲の下で斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県高市郡高取町市尾地区になります(⌒0⌒)/~~
古墳の名は『市尾墓山古』と言います(⌒0⌒)/~~
市尾墓山古墳は六世紀前半に築造された前方部を北西に、後円部を南東にする前方後円墳になります(⌒0⌒)/~~
こちら側は後円部になります(⌒0⌒)/~~
艶々斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
田んぼの真ん中にぽつ~んとでは無くて(・・;)
どでぇ~んと佇んでます(・・;)
墳丘上に樹木が一本しかないので、墳丘の形状が良くわかります(⌒0⌒)/~~
big斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
墳丘の状態は、墳丘裾部をが削られている以外は良好に保存されてます(⌒0⌒)/~~
こちら側(北側)から見ると前方部の遺存状態が良くて(⌒0⌒)/~~
外郭線がハッキリわかります(⌒0⌒)/~~
後方の南側は少し崩れたのかビニールシート被ってます(・・;)
墳丘の長さは65mありますが、古墳は二段築成ですが、北側は外堤より2m高い事から三段に見え、その外堤も110mあるので、大古墳の様に見える工夫がされているそうです(・・;)
古代の高度な土木技術で大きく見えるように築造されています(⌒0⌒)/~~
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
石棺は長さは210cm、幅79cm、深さ60cmで奈良県下でも最大級の刳抜(くりぬき)家形石棺です(⌒0⌒)/~~
残念ながら石室内は盗掘されていたらしいですが、出土遺物の破片を復元した出土品は、ガラス玉、水晶玉の玉類と、馬具、刀、鉄鍬、円筒埴輪など多数あったそうです(⌒0⌒)/~~
被葬者は巨勢氏の一族で六世紀初頭に活躍した巨勢大臣男人(こせのおおおみおひと)と考えられるそうです(⌒0⌒)/~~
巨勢大臣男人は大和王権の国内統一を実現に活躍した人だそうです(⌒0⌒)/~~
少し離れて斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
巨勢大臣男人の後に大臣を継いだのが同族の蘇我稲目(そがのいなめ)でそれ以後は蘇我氏が最高権力に登り詰めますが、蘇我入鹿の暗殺で、蘇我蝦夷の反抗を恐れた中大兄皇子は法興寺(飛鳥寺)を砦に立てこもります(・・;)
中大兄皇子の命を受け将軍の巨勢大臣徳陀古(こせのおおおみとこだこ)に蘇我氏を支える軍事氏族の隣人の東漢氏に君臣の義を説き、中大兄皇子の味方につけたので、蘇我蝦夷は甘樫丘の邸宅に火を放ち自決し蘇我氏の時代は終焉を迎えたそうです(・・;)
チョッとだけよぉ~の斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
巨勢氏は、大和・奈良・飛鳥・平安時代にかけて大いに繁栄した氏族になるそうです(⌒0⌒)/~~
今回は7月17日(水)に奈良県高市郡高取町市尾地区の市尾墓山古墳をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~