718 ケイマンのポルシェ・山武市歴史民俗資料館・伊藤左千夫 生家・NO WAR 🙅♂️に関するカスタム事例
2022年04月02日 07時22分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
こちらは『山武市歴史民俗資料館』です😊
といっても館内は、、、
そう、歌人「伊藤左千夫」の資料のみを集めた資料館なんです。
そして、この歴史民俗資料館の裏には…
伊藤左千夫の生家があるんです😊
山武市の歴史ではなくて、伊藤左千夫オンリーの資料館でした😆
きっと、伊藤左千夫が市の一番の売りなんですね❣️
まずは駐車場🅿️の端っこのベスポジに停めて。
駐車場🅿️に立てられた案内板💁♂️では…
『明治時代の歌人、小説家・伊藤左千夫(1864〜1913年)の生家で、県の指定史跡になっている。
約200年前の建築といわれる間口8間、奥行6間、屋根寄棟造り、カヤ葺きの母屋や土蔵のほか、茶室唯真閣がある。
唯真閣は、文学のかたわら茶の湯を愛好した左千夫が、東京茅場町の居宅に山武杉を用いて建てたのを、死後ここに移築したもの。
庭には明治33年に詠まれた「牛飼が歌よむ時に世の中の、新しき歌大いに起る」という一歌を刻んだ歌碑が建てられてある。』とあります😆
資料館と生家の見学併せて200円を資料館の入口で支払います😄
資料館内は、撮影禁止🙅♂️とのことで撮れません。
伊藤左千夫愛用の文机や茶器、「野菊の墓」の初版本、アララギなどが展示されていました。
生家の入口にまた案内板💁♂️がありました。
『歌人 伊藤左千夫の生家
伊藤左千夫は明治時代の歌人で名が幸次郎という。
元治元年(1864)八月十八日に殿台のこの家で父良作の四男として生まれ、明治十八年に上京するまで多感な青春時代をここで過ごした。
明治三十一年最初の歌論を発表して短歌革新を説いたが、正岡子規が「歌よみに與ふる書」を発表したのを契機としてしだいに子規に傾倒し、師事するようになった。
子規没後は左千夫が中心となって「馬酔木」・「アララギ」などの短歌雑誌を刊行した。
門下には、島木赤彦・斎藤茂吉・小泉千樫・中村憲吉・土屋文明らがおり、大正から昭和を通じて歌壇の主流となった。
歌集・歌論集のほか小説も著し、小説「野菊の墓」はその代表作として有名である。』
生家の入口左手には、その歌碑「牛飼が歌よむ時に世の中の新しい歌大いに起る」がありました😊
こちらが生家の入口になります😊
資料館でもらったパンフレットには💁♂️…
『伊藤左千夫
本名 伊藤幸次郎。春園・無一塵庵主人等とも号す。
アララギ派初期の主宰者として島木赤彦・斎藤茂吉・中村憲吉・小泉千樫・土屋文明ら多くの門人を養成した功績は大きい。
元治元年(1864)8月18日、上総国武射郡殿台村(現千葉県山武市殿台)において伊藤良作・なつの四男として生まれる。
農事のかたわら漢学を佐瀬春圃に学ぶ、明治14年(1881)2月元老院に「建白書」を提出、4月には明治法律学校に入学したが眼病のため中退。
同18年「書置候事」を残し上京、東京・横浜の乳業店で働き、同22年4月に東京市本所区茅場町3丁目(現東京都墨田区江東橋)に「乳牛改良社(茅の舎・デボン社)」を開業。
このころ同業の伊藤並根より、和歌・茶の湯を学び、同28年桐の舎桂子に師事し万葉に感心を持つ。
同31年新聞「日本」紙上で正岡子規と論争、のちに「歌よみに与ふる書」に感激し、同31年1月根岸短歌会に参加。
子規没後、同36年6月長塚節・蕨真らと「馬酔木」創刊、同39年「ホトトギス」に「野菊の墓」発表、以後「隣の嫁」「分家」など自伝的小説を発表。
同40年3月以降森鴎外主催の観潮楼歌会に出席し、外部の歌人に接し視野を広めた。
明治41年1月「馬酔木」廃刊、後継誌「アカネ」を三井甲之が発行したが、左千夫と甲之が対立して別れ、10月に「阿羅々木」発刊、2巻以降は編集兼発行者となる。
大正2年(1913)7月30日脳溢血のため急逝。
墓は東京都江東区亀戸の普門院にある。』とありました😊
生家の全体です😊
約230年前の江戸中期の建築とのことです。
まずは土間から入ると…
かまどがあり、向こうに土蔵が見えますね😊
土間から見た、次ノ間、座敷、中ノ間、奥の縁側の順です😊
残念ながら、靴を脱いで👟上がることは出来ません。
こちらは囲炉裏のある茶ノ間です😊
庭側の縁側から座敷を見ています。
閉じられていますが、左側に仏壇があり右手上に神棚があります😊
土蔵から見ると、こんな感じです。
引き戸が映っていますが、納戸になります😊
庭の縁側ですね。
カヤ葺き屋根が素敵です😊
こちらは土蔵です。
扉は鍵が掛かっていて、中は見れません😣
資料館でもらったパンフレットに…
自分のことを無一塵庵主人と号すと書かれていましたが、正岡子規が褒めたことで命名したと書かれていますね😊
こちらが茶室「唯真閣」ですね。
東京から移築してきたというもの😊
躙口から見た茶室の内部です😊
躙口というのは、茶室へ客が入るための入口なんです。
こちらは茶道口から見た内部ですね。
唯真閣と書かれた額が掛けてありますが…
斎藤茂吉の書とのこと😊
「野菊の墓」が映画化🎬された時の植樹です。
聖子ちゃんの映画デビュー作のようですね〜
1991年7月19日と書いてありますね😊
ストーリーは💁♂️…
『遍路の旅に出た老人の斎藤政夫は、旅の途中で自分の過去を振り返っていた。自分が十五歳のとき、病弱な母きくを看病するため、従姉で十七歳の民子が家に住み込むことに。二人の仲は親密になり、その噂はやがて家の外にまで聞こえるようになっていた。母からあまり会わないようにと言われ、政夫ときくはお互いに恋心を抱いてしまう。やがて二人を中傷する声が聞こえてきたため、きくは政夫を全寮制の中学に入れ、その間に民子の縁談を進めるのだった。そのことを知った政夫は急いで戻るが、すでに民子は花嫁に行った後だった。』
資料館、生家と見学して…
ケイマンくんのところまで戻ってきました😊
クルマはここに置いて…
この資料館から野菊の路と書かれた田舎道を歩いて🚶♂️みます。
野菊の路を進むと、「伊藤左千夫記念公園」があるようなので行ってみます。
ということで、記念公園は明日の投稿で👋