miman2020さんが投稿したカスタム事例
2019年08月23日 05時21分
貯金は無いが車がある。それだけで幸せ。
この場では車の事だけで楽しんじゃおう!
と思っていたけど...
オリンピックとオリンピック選考会前なので。
実は今日8/23は俺にとって忘れられない日です。
こんな人達もいたなと思い出して頂けたら幸い。
皆さんも安全運転で、ずっと車を愛しましょ!
もう30年程前になるけど、北海道で悲しいやりきれない事故。
また今年も北の方を向いて黙祷するしかできない。
世に忘れて欲しくないので、特に今年はオリンピック選考前なので、忘れるより知って欲しい。
三人とも凄い人だったと今も思う。
金井さん
800Mのインターハイチャンピオンからロス五輪の10,000M入賞。
優しい人で怒った顔の覚えがない。
谷口さん
歳は俺より一つ下だけど、先輩。
いろんな教えてもらった。よく遊んだ。
谷口さんも800Mの選手からマラソンでアジア大会代表
俺の職場の近くに結婚してから住み、後輩も近くに住んでいたので、毎週くらい皆で谷口さん新居で集まっていたな。
事故の前に長男が生まれ、ちょうどその日に俺が出張で渋谷行きのバス乗っていたら、練習に向かうの見つけて、バスの窓開けて、「谷口さん生まれた?どっち?」と大声で会話して部下に恥ずかしいから止めてと怒られた。
事故の後に同じバスに乗ると、知らない人からあなたが「子供生まれておめでとう」ってこのバスから大声で話してた人だよね?と何人の方にも話かけられた。
お二人とも800Mの選手が日の丸を胸にしたマラソン選手に。
凄かった。今考えると並みならぬ覚悟だったんだろうな。
松尾くん
日体大卒だけど箱根は走っていない。
SB入ってからもSBの赤いユニフォームでなく、白いユニフォーム。
ようやくタイムも上がって、マラソンでも結果出し、赤い正式ユニフォーム。
持ち主がいなくなった遠征用バックの一番下に丁寧に赤いユニフォームがしまってあったと聞いて、泣くより「良かったな」と思った。
誰かの結婚式で一度しかあった事がなくて、確かその時に励ましたからか、事故の1W前に会社の近くでばったり彼が走っている所に合い、向こうからこんにちは!と嬉しそうな笑顔を見た。
突然だったので、頑張っているな!と言えなかったのが未だに後悔。
あまり記事になってないし、書いてはいけないのかも知れないが、有森さんが彼の同期でバルセロナの時にゼッケンの裏に彼がこのオリンピックを観れる様にと前向きに写真を貼って走ってくれたとの事。
一周忌の時に有森さんも来て、松尾君のお父さんに世界陸上の話してあげなよ。と言ったら「そうだ!」と言って終わりまで話こんでいた。
長文ごめんなさい。
そろそろ仲間で谷口さん達がいる天にいく者も出てきたけど、俺はまだこの世でやりたい事がいっぱいあるので、まだそっちには行かない。
何回も、もう一度話がしたかったとか生きていればどうしたろ?とかも思ったけど、多分お互い様だろうな。天から言いたい事もあっただろうな。
瀬古さんも坂口さんも頑張っているから、姿はこの世になくてもMGCもオリンピックも一緒に観に行きましょう。
早いけど合掌
また会えるさ。いつも心の中は三人と一緒です。
認知症が心配になる歳になってきたけど、忘れません!