718 ケイマンのポルシェ・飯高檀林跡(飯高寺)・匝瑳市・NO WAR🙅♂️に関するカスタム事例
2022年06月27日 05時21分
いいね!をいただいた皆様、フォローしていただいている皆様どうも有難うございます❗️ 初めて購入した車が新車で買ったゴルフ2。それから、かれこれドイツ車ばかり20台近く乗り換えています。E46やE90、オペルなんかも乗りましたが写真がほとんど残っていません。 ということで、自分の自己満足の為だけに写真をアップしています😅 そんな…車好きのちょい悪オヤジですが、宜しくお願いします。 フォロー数稼ぎの方はご遠慮ください。
今日の投稿で800回を迎えました😆🎉
いよいよCT引退まであと200回です❗️
800回とキリがいいところで…
神社仏閣⛩シリーズも第60弾になります😊
800回記念に相応しい場所を紹介しましょう。
ね、なかなか雰囲気があるところでしょ❣️
ココは匝瑳市(そうさし)にある、飯高檀林跡(飯高寺)です😄
檀林とは〜
仏教の学問所です。
つまり、お坊さんの学校🏫ですね❗️
日本最古の大学と言われています😊
飯高檀林は全国有数の歴史と規模を誇り、日蓮宗の学問所として栄えたところなんです😊
天正8年(1580年)から明治7年までの約300年間に数多くの僧侶を輩出し続けた檀林なんですね❗️
檀林ですからね〜
誰ですかぁ、壇蜜とか言っているのは🤣🤣🤣
男根じゃないですっば💢
だんこんです❗️
じゃなくて…
檀林です❗️
石段を登ると、総門があります😊
こちらの総門は、延宝5年(1680年)に中野善五左衛門が建立したとされています。
現在の総門は天明2年(1782年)に改築された高麗門様式銅板葺の建造物です。
国の指定重要文化財になっています。
おぉ〜なんか良い感じです😄
鬱蒼した森の中に入り込んでいくよう…
しっかりとした案内板がありました💁♂️…
『飯髙檀林跡
天生8年(一五八○)土地の豪族平山刑部少輔常時は日生を招き、城内に寺をつくり学問所(檀林)としたのが始まりと伝えられています。
天正十九年に徳川家より日蓮宗の宗門根本檀林として公認され、以後徳川家の保護を受けてきました。
特に、家康の側室養珠院「おまんの方」の信仰が厚く、その子水戸頼房・紀伊頼宣の寄進等により規模が整えられました。
以後、寺は日蓮宗の根本檀林として遠近各地から参集する修行僧たちでにぎわい、名僧を輩出しました。
慶安三年(一六五○)に火災にあい、衆寮・楼門・大講堂を焼失し、現在の建物はその翌年(慶安四年)に再建されたものといわれています。
明治七年に檀林の制が廃止され、不要の建物は取りはらわれ、今では講堂・総門・鐘楼・鼓楼が往時の盛大さをしのばせてくれます。』
なるほど…
すごい学校だったわけですね😊
さらに奥へ進んでいきます🚶♀️
左右の木々が立派で、どんどん森の中に入り込んでいく感じがします😄
ようやく見えてきました。
左右に聳える杉木立が立派ですね〜❣️
飯高寺の講堂ですね😊
荘厳な感じがしますね😌
講堂の手前右手には、「立正大学発祥之地」という石碑があります😃
その横には案内板💁♂️が…
『立正大学発祥の地
法華経の思想を建学の精神として高く掲げる立正大学は、かつて日蓮宗の最高教育機関であった飯高檀林に淵源を発する。
天正元年(一五七三年)日統上人によって飯塚の地に談所が開かれ、同八年(一五八○年)ここに移って飯高檀林の礎が築かれた。
やがて大檀林として多くの学徒を集めて栄えたが、明治五年(一八七二年)東京の芝二本榎に設けられた宗教院にその使命を譲った。
これが後に日蓮宗大学となりさらに立正大学に発展する。
飯高檀林をもって立正大学の淵源とするのはこのような由緒によるもので、その輝かしい歴史と伝統は今日に受け継がれている。
学校法人 立正大学学園』
これは題目堂です😄
風情のある建物ですよね〜
お坊さんの階級があって、上の級に進級する為の試験があったそうです。
その試験の合格するようにと祈願した場所だったんです。
今も合格祈願とかしますもんね😆
案内板がありませんので詳細は分かりません。
左の石碑は折れてしまったんですね〜
修復してありますが、飯高檀林の道というものでしょうか。
真ん中は「崇石」とありますが…
ググってもよく分かりません😞
すうせきさまといって祀っているところもあるようです。
右側の石碑は、多分どなたかのお墓🪦なんじゃないでしょうか🤔
講堂の左手前には…
小さな⛩があります。
古能葉稲荷大権現(このはいなりだいごんげん)というようです😃
こちらには面白い話があります。
『千葉県の飯高檀林(いいだかだんりん)の
境内に棲んでいたという化け狐で、
若者に化け十年、学問所にて勉学に励んだといわれている。
卒業式の日
――新任の住職の入山式ともいわれている――
に般若湯を飲んでしまい、
つい正体を現してしまった。
だが人間ではないというだけであり、
誰よりも勉強熱心であったため、許されたという。
それどころか、境内に社が建てられ、
そこに住む事になったという。
その社は
「開運古能葉稲荷大明神」
呼ばれるようになったという。』
こちらが講堂です💁♂️
こちらは木造入母屋造栩葺きの建造物です。
慶安4年(1651年)の建立です。
千葉県内では一番の規模だそうです。
ココは飯高檀林施設の中心で、現在の大学院みたいなもののようです😊
最盛期には、こちらに6〜800人の僧侶が集まったんだそうですよ😵
ググると興味深い話がありました。
『飯高檀林を今の学校に例えると、「大学」としてみることができますが、初等教育課程から専門研究課程に至る8階級が設置されていました。
次の8課程で、名目部に入学してから全課程を終了するまで36年間もの期間を要したといわれます。
名目部
四教儀部
集解部
観心部
玄義部
文句部
止観部
御書科
今日の学校のように学期があったわけではなく、年に6カ月間学ぶという方法がとられ、そのうち3カ月間は自分で学習(説法など)しなければ単位が取得できませんでした。
また、病気などで1日でも講義を欠席すると、進級できなかったようです。
この講義のある日を「物読日」と言っていました。』
いやいや〜
厳しいですね😅💦💦💦
こちらは鐘楼です😄
木造入母屋造柿葺きの建造物だそうです。
建立年は不明で、梵鐘は江戸鋳物師によって寛永16年(1639年)に鋳造されました。
こちらも、国の指定重要文化財です。
さらにこちらは、鼓楼です😄
木造入母屋造柿葺きと鐘楼と同じ造りです。
享保5年(1720年)に建立され、学寮から学僧達を呼集する際に打ち鳴らされたとのことです。
楼内部には、直径90cmの太鼓が収納されていて…
約15km先の九十九里浜まで聞こえたそうです。
こちらも国の指定重要文化財になっています。
この杉の並木は、慶安3年(1650年)の講堂焼失🔥後に紀州熊野杉の苗を植林してここまで大きくなったとのこと。
樹齢350年以上の巨木です😃
こちらは講堂の裏手にある牡丹園です。
見頃は4月中旬から5月の初旬くらいまでのようでしたぁ😓
し〜んと静まりかえったこの場所に居ると…
心が落ち着きますね😌
蚊🦟が飛んでいなければ、ずっと居たいくらいでした〜
この飯高寺では、いろいろなドラマやCMのロケ地でもあるようです。
*ゲゲゲの女房
*とと姉ちゃん
*西郷どん
*忍びの国
*麒麟がくる
他、まだまだあるんです。
こちらは森の奥の方にあった、偉いお坊さん達のお墓🪦ですね😌
きっとこちらも階級によってお墓の位置も違うのでしょうね。
こちらが飯高檀林跡の無料駐車場になります😊
こちらには案内所の小さな小屋があって、パンフレットやお土産なんかも売っていましたぁ〜
苔むした森の中にど〜んと講堂があり、暫し心が洗われました。
最後にちょっとややこしいですが、飯高檀林は(いいだか)と読みますが…
飯高寺は(はんこうじ)と読みます😅💦
駐車場から石段までは5〜6分歩き🚶♀️ますが…
ココはオススメですよ〜