フーガの楠公寺・楠木正行(楠木正成の長男)・飯盛山 飯盛城に関するカスタム事例
2018年12月15日 20時14分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんばんわ(⌒0⌒)/~~
今回は火曜日にやっと楠公寺(なんこうじ)に到着して(⌒0⌒)/~~
楠公寺をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
その左奥の道は飯盛山へ行くハイキングコースで飯盛城跡があります(⌒0⌒)/~~
場所は大阪府大東市北条になります(⌒0⌒)/~~
飯盛城は標高315.9mに築かれた日本の山城です(⌒0⌒)/~~
築城期間は1334~1338年、廃城は1576年(・・;)
主な城主は、木沢長政・安見宗房・三好長慶・三好義継です(⌒0⌒)/~~
横おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
楠公寺の由緒ですが(⌒0⌒)/~~
飯盛山楠公寺は『妙春日祥法尼』によって、昭和25年に開山されたそうです(⌒0⌒)/~~
開祖は明治6年生まれで、91年に渡る生涯を法華経と共に生きてこられた高僧になります(⌒0⌒)/~~
『妙春日祥法尼』が能勢山中で、日蓮宗の布教に精進しておられた時に、南北朝時代の南朝の武将楠木正行公の御霊から、『法華経で我が魂を鎮めよ』との聲を賜りましたそうです(⌒0⌒)/~~
正行公は河内の武将、楠木正成の長男になります(⌒0⌒)/~~
1336年に父正成公は京都へ攻め上がる足利尊氏を湊川で迎え撃って討死しました(・・;)
父の無念を晴らすために足利軍と戦った正行公も12年後の1348年高師直の軍と戦い、四條畷で討死しました( ̄▽ ̄;)
『妙春日祥法尼』は正行公の御霊にかなうようにと、所縁の地の飯盛山に等寺を開きました(⌒0⌒)/~~
境内には鎧に身を包んだ勇ましい正行公の銅像が建立されており、いまも山上から河内の里を見守り続けています(⌒0⌒)/~~
尚、当時の号『楠公寺』は宰相、故池田隼人氏にご命名いただいたそうです(⌒0⌒)/~~
楠公寺の祈祷本尊は、安産と子育ての神、さらに、行者守護、法華教護法の神でもある、鬼子母神です(⌒0⌒)/~~
本堂にはその像を祀りしています(⌒0⌒)/~~
他に、楠公寺のあるここ飯盛山の守護神、黒龍大明神(⌒0⌒)/~~
法華経護法の竜神で、水や雨を支配する八大竜王が祀られていて、家内安全、身体健全を願う人から崇め尊ばれています(⌒0⌒)/~~
楠公寺を唱った詩です(⌒0⌒)/~~
『春は花咲き 秋は実の果(このみ)なる 夏は暖かに 冬はつめたし』(報恩抄)
楠公寺のキャッチコピーかな(^_^;)?
白一色の雪の道、桜花舞い散る花の道、初々しい若葉の緑から濃いグリーンへ、そして色鮮やかな紅葉の道へ、自然という名の天才画家が描き続けるモチーフのひとつ、四季折々に表情を変える飯盛山の道。楠公寺は、ファミリーハイキングにも最適そんな美しい環境の中にある寺院です(⌒0⌒)/~~
今回は火曜日にやっと到着した(^_^;)
楠公寺をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~