NSXのドライブ・村上春樹がコメント書いたならに関するカスタム事例
2018年11月24日 21時54分
東京の紅葉が不発だったので京都に行ってきました。気持ちだけ…。
秋=紅葉=京都と、ステレオタイプのど真ん中のオタク50代児です。
読書の秋でもあるので、今回の似非京都風ドライブを大嫌いな村上春樹が書いたなら…。
君は撮影場所に突然現れて、突然去っていった。夏の終わりの夕立みたいだった。誰もその事実を上手く飲み込めていない。ジーンズのポケットは何かで膨らんでいた。それはスマートフォン━━変色しかかったカバーつきの━━確かi-Phoneだったと思う。正確にはi-Phone8に見えた。i-Phone10だという人もいる。とにかく僕にはi-Phone8に見えたんだ。
採り終えた写真を眺めていると重大なことに気づいた。紅葉していない。おまけに青々としている。
「やれやれ」
何故写真を撮る前に確認しなかったのか……? そしてなぜNSXと東京に拘ったのかどうかを、きみは好むと好まざるとに関わらず考えなければならない。それ以上でも以下でもない。
きみが東京に京都のイメージを求める事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。京都の街並みに似た場所に勝手に行けばいいし、携帯で風景でもクルマでも好き勝手に撮ればいい。休日はきみが何をしようが自由だ。勝手に撮りたいものに向ければいいし、ただボタンを押せばいい。
帰り道は写真の出来栄えとコメントの構想を考えるといい。イメージを膨らませるのに車内でユーロービートを聴くのもいい。ラジオで退屈なコメンテーターの話に耳を傾けたっていい。悪くない選択だ。
ただ、一つだけ言いたい。完璧な京都のイメージは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。