セリカの80年代歌謡・カノッサの屈辱・松田聖子・顔流しのの戦い・聖明戦争に関するカスタム事例
2021年08月10日 11時58分
まことに余談ではありますが
Zが帰ってまいりました。
久しぶりに2台が揃ったところで.......
火曜日のお昼になりました!
最新のヒットソングとNowなカルチャーをお送りする
スタジオ昭和ガレージの時間です😄
本日は『カノッサの屈辱』最終講義
私のメイン研究テーマ昭和80年代歌謡になります。
第一回講義で触れた、
健康飲料の救世主”ジャンヌ山田ルク“は
松田聖子を出世魚に例え
”ハマチはブリの子、カマチはブリッ子“
と称えました
本日は蒲池法子→松田聖子の下剋上の過程を
詳しくお話ししようと思います
<松田聖子の下剋上>
〜第1章 聖子参戦〜
皆さん写真の女性をご存知だろうか?
彼女こそが松田聖子の主君 山田由紀子である
1980年代に入り女性の洗顔市場をめぐり
大きな戦いが勃発した
先陣を切った資生堂 エクボに対し
花王はビオレでこれに対抗
「顔流しのの戦い」である
この戦いで資生堂軍に参戦した
松田聖子は当初CMへの出演を試みたが
製品イメージのエクボができないことから
山田由紀子が出演するCMの歌のみを担当
影武者となった
裸足の季節→風は秋色→夏の扉
と資生堂は3曲続けて彼女の曲を採用するが
すべて歌のみ。常に山田由紀子の影武者であった
〜第二章 聖子の成り上がり〜
この裏側で彼女はグリコのCMにも出演
当時女性に絶大な支持を集めていた田原俊彦と結託
恋人同士を連想させる内容で世間の注目を集めて
徐々に知名度を高めた
地位を得た彼女は自分を常に影武者扱いをした
資生堂と山田由紀子に復讐するため
あろう事にもライバル会社
カネボウのキャンペーンにCM出演し反旗を翻す
ついにビジュアル、歌の両方で
化粧品会社のCMを制圧
ここに至り山田由紀子との地位は逆転
君主と成り代わったのであった
この戦いの裏には、呉田軽穂と名乗った
ニューミュージック宣教師ユーミンが深く関わっていた
彼女が作曲した“ロックンルージュ”が
キャンペーンソングがであったことから
この逆襲は「ロックン条河原の戦い」と呼ばれている
♪ピュアピュアリップス♪
という可愛らしいキャッチコピーとは裏腹に
このしたたかさこそ戦略家聖子の本質なのである
〜第三章 三国同盟の解消〜
飛ぶ鳥を落とす勢いだった聖子陣営だったが
思わぬ事件が勃発する
1985年1月22日に起こった、聖郷分離運動である
己のイメージこそすべての聖子は、急遽開かれた会見で
“好きで愛し合って別れるんだから、今度生まれ変わって来たときには、きっと一緒になろうねって言いました”
と語たり、別れを美化した
※郷ひろみはのちにこれを否定している
ここからの新しい旅立ちを演出するため
ニューミュージック宣教師 尾崎アーミン作詞作曲の
讃美歌『天使のウインク』を1月30日に発表
“新しい恋に向かう”という内容の曲であるが
破局が取り沙汰される前の
年末の段階で尾崎アーミンはこの依頼を受けた
曲作りに用意された時間は1日だけだったという
これにより長く続いた
“聖子ーユーミンー松本隆”の三国同盟は解消された
〜第四章 聖明戦争〜
この綻びをニューミュージック宣教師
アンドレカンドレは見逃さなかった
自然体”くうねるあそぶ“を提唱する彼は
おしゃれユーミン文化の転覆を影から狙っていた
そして中森明菜を擁立し、ここに決起する!
1985年4月3日『飾りじゃないのよ涙は』において
大衆に♪ダイヤと違うの涙は!♪と呼びかけた
『瞳はダイヤモンド』詞:松本隆 曲:呉田軽穂(ユーミン)
の歌詞♪涙はダイヤモンド♪を真っ向から否定するものであり、事実上の宣戦布告
ここに聖明戦争が勃発
しかし稀代の策士松田聖子は
歌唱力、表現力、美貌で圧倒的に勝る中森明菜
と真っ向勝負をする気など、はなっから無かった
1985年6月24日 神田正輝との政略結婚に踏み切る
彼女が必要としたのは石原軍団と言う傘
であったことは言うまでもない
そして出産後“ママドル”と言う明菜が不在のジャンルを
立ち上げ、そこで再びのし上がる
早々に終わったかと思われた聖明戦争だったが
聖子は3年半反撃の時を待っていた
1989年2月近藤真彦との“ニューヨーク密会”テロ
で明菜に決定的なダメージを与え
最終的には聖子が勝利するのであった......
いかがでしたでしょうか?
80年代アイドル戦国時代は決して実力だけで
のし上がれる世界ではなく
時を味方につける戦略が必要とされたました
こうした聖子の戦略は
『聖子の兵法』としてまとめられ
今もアイドルの聖書として読まれています
トヨタ→日産へ仁義なき移籍をしたキムタクもまた
ロックン条河原の戦いをお手本としたのです
今回の講義はこれまで
また冬季講習でお会いしましょう😊