フーガの奈良県橿原市今井町・環濠跡地・春日神社に関するカスタム事例
2018年11月27日 12時35分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は11月17日(土)に今井町の裏手の外濠跡地周辺で撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県橿原市今井町になります(⌒0⌒)/~~
以前にも少し説明してますが、今井町は戦国時代の寺内町が原型となり、全建物数約1500棟弱のうち約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区になっています(⌒0⌒)/~~
ポールが( ̄▽ ̄;)もう少しずらせば(^_^;)
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています(⌒0⌒)/~~
国の重要文化財が9件、県指定文化財が3件、市指定文化財が5件あり、平成29年(2017年)4月28日に日本遺産に認定されました(⌒0⌒)/~~
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
この先奥にあります(⌒0⌒)/~~
今井の環濠の説明書きです(⌒0⌒)/~~
今井町(郷)は、自衛上武力を養い郷の周辺に堀を巡らし、土累を設けた環濠集落で現在もその濠跡が今井の周辺に遺溝を残している一部です(⌒0⌒)/~~
織田信長に挑戦し、武装解除されてから自治権を委ねられて自治都市として確立した町並みが出来上がり、江戸初期~末期にかけての民家が軒を連ねるようになり、町並みの形態が現在まで残されて来ているそうです(⌒0⌒)/~~
その織田信長に挑戦したって言うのは、永禄11年(1568年)織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、松永秀久は信長に従属し、大和一国の支配を認められた。信長の援軍により、筒井順慶は劣勢に追い込まれた。(・・;)
永禄12年(1569)十市遠勝の死後、十市家は筒井方と松永方に分裂し、松永方の十市後室ら一族郎党は今井の河合清長宅へ疎開した。しかし、元亀2年(1571年)久秀は三好三人衆と和睦して信長に反旗を翻し、信長包囲網の一環として石山本願寺と応呼したそうです(・・;)
濠をバックに斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
今井郷も石山合戦の際には、石山本願寺、三好三人衆について織田信長に反抗し、堀を深くし土累や見通しを妨げる筋違いの道路等を築き枡形として虎口を固め、最前線の西口に櫓(城郭)を設け、今西家を城構えとして、環濠城塞都市となりました(・・;)
戦争を仕掛ける為では無く自衛の為に作った要塞都市の一つであり、堀は場所によって違うが、幅が5m~7m深さは2mもあったそうです(⌒0⌒)/~~
天正3年(1575年)頃に信長と和陸したことなどで、濠は16世紀後半に埋め戻されていたらしいです( ̄▽ ̄;)
春日神社をバックに斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
春日神社をバックにもっと撮りたかったんですが(^_^;)
若いカップルが青春を謳歌してたのでそっとしておきました( ̄▽ ̄;)(笑)
今回は奈良県橿原市今井町の裏側に当たる環濠跡地周辺で撮りました(⌒0⌒)/~~