イッチーさんが投稿したホンダ N360・スバル 360・プロジェクトXに関するカスタム事例
2019年05月07日 19時14分
5型RSのFDに乗ってます✋ 10年間島根県浜田市に住んで2020年から山口県に里帰りです。 山口県のクルマ好きの方々、これからもよろしくです✨ (追記:2019/02/11) ツイッターを始めました✨ bluefd3s_ikkyです。利用されてる方々もどうぞヨロシクm(._.)m インスタもやってます✋ forester_shoumaru
お疲れ様です✨令和時代最初の出勤(´Д` )
ワタクシは連休前に残った仕事をやっつけたのでやり終い。早よ終わった\(^ω^)/
画像は連休時の帰省中に撮ったもの。
後ろ姿だけでわかった方はもう60代以上かな❓ホンダのN360です✨
となりにN BOXが並んでたけどもう違いすぎてアルヴェル並みの大きさに見えたww
うちのオヤジが学生時代に友人とシェアしながら乗ってたようで✋
N360で思い出しましたが以前、プロジェクトXにどハマりしてました(笑笑
中でもこのてんとう虫の回は感動ものでした。
スバルといえば上段の真ん中がリーダーの百瀬晋六さん。この人は最初から自動車開発をしていたわけではなく、戦時中に中島飛行機にてエンジン(ターボとインタークーラー中心)の開発に従事。日本の自動車史では伝説的人物なのですン(´Д` )
右がサスペンション担当の小口芳門さん。左の方がボディチームの室田公三さん。
スバル360が出てくるまでは車といえばクラウンか中型の外車。値段は今で言うと1台1000万円。
企業で成功した者だけが手にする富の象徴だった。
それを百瀬さんは一般家庭の人でも買えるクルマを、とプロジェクトを立ち上げる。
ボディの鉄板は0,6mm。当時では前例のない薄さ。その薄さで強度を確保するためのあの丸っこい形のデザイン✨
さらに大人4人と言う条件ゆえにサスペンションを設置できるスペースは皆無のため、今のようなダンパーユニット式ではなくねじり棒バネ。
昭和30年の軽4輪はオート3輪。
4輪もあったが乗車は2人まで、しかも悪路は走れなくてスピード出ない。
それを百瀬さんは価格はクラウンの半値以下、大人4人が乗れて悪路や坂を走れるという当時の既成概念では到底通用しない
条件を突きつけた。
この人凄すぎ(゚ω゚;;;;;;;)
認定試験では検査官を含む4人乗ることですがそのうちの1人が「危なっかしくて乗れん」と、拒否。
代わりに55キロの重りを搭載してテスト。
箱根の山岳路での量産車基準タイムは30分。それをこのちっこいてんとう虫は22分という驚異的なタイムを出す。恐るべし、、、
日本の国産車はクラウンが最初だけど、本当の意味での量産車がこのスバル 360ではないでしょーか❓
プロジェクトX、面白かったな(´Д` )技術者魂とかいうけど、戦後は何もかもが無くなってお国のためとか国民のためとかみんなが団結できた時代だったんだと思う。再放送とかできんやろーか🤔