エクスプレスのTano〰️さんが投稿したカスタム事例
2021年03月11日 22時20分
石巻の長期ボランティアから10年が経った。
日本のボランティアのステイタスの低さ、あれもこれも危険だと規制され、せっかく日本に来たのに困ってる人たちの役に立てるような仕事が全くできないと不満を持っていた20カ国以上の外国から来た人たちが自然と集まってできた外国人部隊を僕は率いてた。
活動してはいけない地域でも、そこに困っている人がいれば何処でも出向き、何でもやった。
大きなボランティア団体が表面だけ掃除して撤収してしまった現場は海水が染みた断熱材や床下のヘドロ、天井裏まで入り込んだ腐敗した魚…
壁や床を剥ぎ、ボランティアがやってはいけない危険な作業をして片付けないと被災者の方々が生活できる環境にはならないのだ。
大きなボランティア団体が、簡単な掃除をし、この地区の作業は終わりましたと言えば、米軍と自衛隊の風呂は撤収になり、まだやること山積みなのに送迎バスもなくなる。
お陰で僕のバンは常に乗れるだけの人を乗せ、常に定員オーバー。
僕はバンで暖かいシャワーを浴びれたが、皆は川で身体を洗った。
その川からクルマを引き上げると中には亡くなった家族のご遺体が…
大きなボランティア団体の倉庫には消費期限が切れて捨てられていく手付かずの食料や、配りきれない物資が。
それを勝手に持ち出して本当に足りていないところへ勝手に配った。
中国から来ていた大勢の窃盗団を捕まえた。
物資を運ぶトラックを狙って襲ってきた連中などは僕らが返り討ちにした。
俺たちはボランティアセンターの鼻つまみ者だったが、被災地の必要悪だったと思う。
あの惨状で見たこと、被災者の方々から聞いたことはこんなとこにとても書けない。
本当にここは日本なのかと泣けてくるほどの惨状だった。
アフガンから来た奴が戦場よりここは酷いと言っていた。
復興作業従事車両の証明があっても北海道の高速道路だけは料金所の度に何ですかこれ?と聞かれ、上に確認を取ると待たされ、フェリーに乗り遅れるとか、その許可証も毎度取らなければならず、手続きが大変すぎるとか、ボランティアの仕事の妨げになることばかりで国は何から何までクソだった。
フェリー会社も仙台から帰るボランティアは半額、作業に向かう船は知らん顔、そのくせ私たち◯◯商船は東北を応援しますなんてスローガンだけは一丁前だった。
あれから10年、国が頼りにならないのに少しずつ日常を取り戻して行った人々は本当に強いと思う。
1日も早い復興を祈ります。