718 ケイマンのポルシェ・平将門伝説・東金市・帝立山妙善寺に関するカスタム事例
2021年08月16日 06時29分
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今日の投稿は…
平将門伝説の巻です‼️
皆さん、平将門は当然ご存知かと思います😊
この人ですね😆
平安時代中期の関東の豪族で…
平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子ですね。
下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国府を襲撃して印鑰を奪い、京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となりました。
しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されてしまいました(承平天慶の乱)。
将門の死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られました。
さて、平将門というと日本三大怨霊の一人とされています😱😱😱😱😱
まさに「祟りじゃ〜」の世界です。
940年、将門は、現在の茨城県坂東市岩井付近で討ち死にをしました。
その後、首は平安京へと運ばれ、都大路で晒されました。
しかし、数日経つと将門の首は空を飛び、切り離された体を求めて東国に舞い戻ったという伝承があり、それを祀ったのが将門塚とされています😱
首から下はどうなったのかというと、その胴体は、亡くなった場所から近い寺に埋葬されたといいます。
他にも、将門の腕や足、兜や鎧を祀った寺社が各地にあります。
要するに、将門は、その身体を徹底的に分断されて祀られたというのです。
さて、ココ東金市にも平将門伝説があります。
トップ画は、東金市御門(みかど)にある帝立山妙善寺です。
このお寺は、平将門が慈母桔梗の前の菩提を弔うために、天慶元年(938年)4月、真言宗の一刹を建立し、京の都より貞観法師を迎え開基したと伝えられます。
*この地域では桔梗の前は平将門の母親と伝えられています。
平将門がこの地で生まれ、この地で死んだという伝説が残っているのです。
妙善寺の山号「帝立山」は平将門が桓武天皇五代の孫ということから名がつけられたともいわれています。
この画は、妙善寺の本堂ですね。
鐘楼も立派ですね〜
常陸の地方役人だった平良将は、妻である桔梗の前が身ごもった際に占い師から「反逆児が生まれる」と告げられました。
その言葉を受けた平良将によって桔梗の前は舟に乗せられ、九十九里海岸へと流れ着きました。
身を隠す場所を探し彷徨い歩いているうちに桔梗の前は産気づいてしまいます。
付き添って来た者が近くにあった竹を十文字に組んで川に立て、白い布をかけ、これで濾した水を産湯としたといいます。
しかし、赤子を抱いて桔梗の前は途方に暮れてしまいます。
その姿を哀れに思った土地の漁師、七郎兵衛が生まれたての赤子を自分の着ていた袖なしに包み、母子を家に連れ帰り世話をしたのです。
この赤子こそが、成長して後の平将門となるのです‼️
平将門が産み落とされた川が「十文字川」または「布留川」と呼ばれるようになりました。
また産まれた場所の近くにかかる橋は「産前橋」と呼ばれています。
七郎兵衛は後に平将門から「布留川」という姓をもらったというのが、御門の古刹・帝立山妙善寺に残る将門伝説です。
この辺りの地名は、妙善寺のある「御門(みかど)」だけでなく…
「殿廻(とのまわり)」や「家徳」という由緒ある地名が多いです。「家徳」なんて、徳川家康の「家」と「徳」を逆したようですよね。
まさに、東金市には江戸時代に徳川家康が江戸城🏯から御成街道を通り、鷹🦅狩りに訪れ宿泊した「東金御殿」がありました。
このショットは、稲荷神社(将門稲荷)の前です。
妙善寺から歩いて約5分ほどのところにあります。(将門稲荷と呼ばれています)
祭神は平将門とされており、将門の軍が敗れたとき、7人の家来が将門の遺骸を背負ってこの地に逃げ帰り、遺骸をまつって将門稲荷と称したと伝えられています。
こちらは、厳島神社(桔梗弁天)です。
稲荷神社からさらに西の方向に歩いて約5分のところにあります。
ここは、将門の母と伝えられる桔梗の前が、乳汁が不足し困ったところ、関内(せきうち)にある水神社に祈ったところ、その後、乳汁に恵まれ無事に将門を育て上げ、土地の人が桔梗の前を弁財天の再来とあがめてまつられたものと伝えられています。
鳥居の奥にひっそりと小さな祠があります。
この他にも、この辺りには祭塚(えなづか)という平将門の胞衣(えな)を埋めたといわれている場所や水神社という桔梗の前が将門の成長を願いお参りした神社などがあるようです。
この辺りは道幅も狭く、農道を進んでいかないとたどり着けないんです。
のどかな田んぼの奥で軽トラ🛻しか通らない農道をケイマンで行くと目立ってしまいます👀👀👀
よって、祭塚と水神社は断念しました😅