フーガの奈良県吉野郡川上村・丹生川上神社上社・ダムが出来てここに越してきた・旧社は飛鳥坐神社の本殿として残るに関するカスタム事例
2020年07月31日 07時15分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今朝も曇り空スタートですね( ̄▽ ̄;)
涼しい風が吹くのにこの湿気( ̄▽ ̄;)
少し歩くだけで汗が水芸の様に吹き出してきます( ̄▽ ̄;)
今回は先日火曜日に病院で腰の診察終わった後、写活に行って来ました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県吉野郡川上村になります(⌒0⌒)/~~
この神社⛩️は丹生(にゅう)川上神社上社になります(⌒0⌒)/~~
丹生川上神社は、吉野郡に三ヶ所有り、吉野郡下市町に下社(⌒0⌒)/~~
吉野郡東吉野村に本(中)社があります(⌒0⌒)/~~
三社共に龍を司る水の神様になります(⌒0⌒)/~~
ちょっとググって(^_^;)
明治初年までは高龗神社という小規模な祠で、その由緒も不詳であるが、大滝ダム建設に伴う境内の発掘調査により宮の平遺跡が発見され、本殿跡の真下から平安時代後半(11世紀末)以前に遡る自然石を敷き並べた祭壇跡が出土し、また付近からは、縄文時代中期末から後期初め(約4000年前)にかけての祭祀遺跡と見られる、立石を伴う環状配石遺構が出土したため、途中奈良・古墳時代にかけての断絶が認められるものの、当神社の祭祀空間としての機能は縄文時代にまで遡る可能性が出てきたそうです( ̄▽ ̄;)
明治6年(1873年)に郷社に列したが、当時の官幣大社丹生川上神社(現在の下社)少宮司江藤正澄が、下社の鎮座地は寛平7年(895年)の太政官符(『類聚三代格』所収)に記す丹生川上神社の四至境域に合致しないことを指摘して当神社を式内丹生川上神社に比定し、翌明治7年には当神社を下社所轄の神社とするとともに、下社を「口の宮」、当神社を「奥の宮」と称した。その説が認められて、明治29年(1896年)に「口の宮」を「丹生川上下社」、当神社を「同上社」と改称し、2社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」となった(・・;)
ここで二社になったんですね(・・;)
だが、大正(1915)4年 、現・中社のある東吉野村出身の森口奈良吉が「蟻通神社(現丹生川上神社・中社)=丹生川上社説」を唱え、これが受け入れられたため、同11年(1922年)10月12日内務省告示で「郷社丹生川上神社、奈良県吉野郡小川村鎮座、祭神罔象女神。右官幣大社丹生川上神社中社ト定メラルル旨被仰出」とされ、上社・下社は中社に包括される形で、改めて3社を合わせて「官幣大社丹生川上神社」とされて、三社になったみたいですね(o^-')b !
丹生川上神社上社の現在の本殿は三間社流造銅板葺。旧境内地が大滝ダムの建設に伴い水没することになったため、伊勢神宮旧社殿の古材を用い平成10年に造営されたそうです(・・;)
ダムの完成に伴い高地へ移転となりましたので(・・;)
今では『天空の社』と呼ばれています(⌒0⌒)/~~
今回は先日火曜日に診察終わってから奈良県吉野郡川上村の丹生川上神社上社をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~