プリウスの奥多摩湖・武田勝頼・歴史小話・甲州市・信玄餅に関するカスタム事例
2021年03月10日 01時21分
なんちゃってG’sプリウスです。皆様にはどんどん絡んでいけたら良いなと思っています。カメ活コラボMTお誘いいただけたら喜んで馳せ参じます。 投稿は思い付きの不定期ですが、読んでいただいた方にちょっと小さな笑いをお届け出来る様に心掛けています。 車は知識もお金も無い中を、貧相なアイディアと法令遵守の谷間を行ったり来たりしながらコソコソとカスタマイズを楽しんでいます。
本当は今日仕事だったのですが、予定がコケて急遽休みになりました。
友達いない私にはそういうのマジで困るんですけど。とりあえずアテも無く走り出したのですが、気が付いたら奥多摩湖にいました。こんな中途半端な時期にこんな中途半端な場所に来ても何も無いのにね。
おまけに車止めにバンパー擦ってます泣
何も無いのは来て見て分かった事なのに、いやいや何かしらあんだろ?と奥多摩湖の周りを走ってみる事にしてみました。
そしたら、そしたらそしたら!
桜咲いてましたよ。まだ2分咲き未満の早咲き桜ですが春の足音しっかりと聴けました。
もしかしたらCT桜の投稿は私が第1号なんじゃね?
ピックアッp…取りにいける…かも…。
ドライブはまだまだ続きます。
これは東京の水瓶奥多摩湖に注ぐ支流の眺め。川の名前は分かりません。丹波山中です。もはや奥多摩湖周遊では無くなっているのですが、こんな山中に来た事無いものでテンション上がって行けるとこまで行ってみようとなっていました。
写メに撮っては無いのですが、本当に山中の砂利道に迷い込んで腹下ガリガリ擦りながら100mくらいをバックして戻ったり、愛車を高い場所から撮影しようと土留めのヨウ壁を駆け登ろうとして滑って手を擦りむいたり、小ネタにもならないイベントトラブルがあったのですが投稿からは割愛します。
丹波山中において残雪を発見。
北の方にお住まいの方々には本当に申し訳ないと思うのですが、雪見て更にテンション上がってます。まぁ汚い残雪ですけどね。花を見付けて、雪を見付けて、ちょっと得した気分です。
そんなこんなで国道411号線を走り続けていたのですが、ついに甲州市まで出てしまいました。そろそろ帰りも心配しないといけないけど、これといった絵になる達成もしていないし、さてどうしようと大急ぎでGoogleさんと相談した結果、武田勝頼公のお墓が近くにある事が判明しまして暗くなる前に急行。
菩提寺は甲州市の景徳院。
写真は景徳院の山門です。
あれ?ちっちゃくない?
こちらの景徳院、武田勝頼公のお墓を拝観料無料、駐車場代も無料、よく言えば良心的だけど要するに吹きっ晒しの管理にしてました。もっと上手い事やって観光名所にでもすれば良いのに。
どうも父親の信玄と比べられて凡将愚将と評価されがちな勝頼。長篠の戦い(1575.6)で大敗して武田家滅亡させたと一般的には思われているけど、実は武田家最大領土を達成したのは勝頼(1580頃)長篠の戦いの5年後に達成しているから、長篠の戦いの敗戦自体は滅亡とは無関係と思われるんだな。
じゃ何が武田家を滅亡につなげたのかというと高天神城の落城(1581.3)が大きくて、城を守っていた武田領内の有力地方領主の武士を見殺しにしてしまった事で勝頼の求心力の低下した上に、不可抗力な自然災害の浅間山噴火(1582.2)で迷信的に武田ヤベェぞって離反が加速したというのが最近の定説になりつつある。見殺しにせざるを得なかったのも、織田信長との同盟を調整していて刺激しない為に出兵できなかったせいで、ハナから信長は結ぶ気無い交渉を延ばす策略だったから、勝頼は本当は戦上手でも不運で不幸な武将だったのね。
それにしても享年37歳は若過ぎる。
家督は10年。その間にあの父親より領土を増やして、滅亡を迎える。パッと咲いてパッと散る。桜みたい。そういうの日本人好きでしょ。もっと映像化されると良いのに。
ちなみに武田勝頼の命日は3月11日らしいです。
帰りはさすがに中央道を使いました。
談合坂SA。
ピンボケ!
談合坂でお土産購入しました。
山梨鉄板土産の信玄餅。
わさび漬け。
ラー油ニンニク。
桔梗屋信玄餅の黒巾着は武田信玄生誕500年記念の限定色らしいです。そりゃそうだよなぁ。お名前お借りしてんだから、ちゃんとお祝いしなきゃ罰が当たるってもんだ。
何かお土産のチョイスがオッサンぽくなったなぁと感じます。お約束が1点とおつまみが2点。
そして、信玄餅もおつまみになってしまうという私の食習慣。