フーガの奈良県葛城市當麻地区・當麻寺(当麻寺)・仁王門・中将姫物語に関するカスタム事例
2020年04月09日 19時25分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
こんばんわ(⌒0⌒)/~~
朝に薬飲んでそのまま寝てしまうかと思ったらダラダラ起きてます(^_^;)
今回は3月30日(月)にオカンと花見ドライブで山門と桜をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県葛城市當麻町の當麻寺(当麻寺)の仁王門前で撮らさせて頂きました(⌒0⌒)/~~
この日は、平日の雨降りの中ほぼ参拝客は居ませんでした(^_^;)
立派な仁王門だけで絵になるのに、更に桜があるのでやはり撮ります(≧▽≦)(笑)
當麻寺(当麻寺)と、言えば中将姫物語があります(・・;)
少しググりました(^_^;)
今は昔、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成には美しい姫が、後に中将姫と呼ばれるようになる、この美しく聡明な姫は、幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられる(・・;)
中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかけだそうです((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろすことができず、姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきたそうです(・・;)慈悲の心があったんですね(・・;)
その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願っていたそうです(・・;)
姫が五色の蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である『當麻寺本堂(曼陀羅堂)に現存』(・・;)
姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がったそうです(・・;)
當麻寺の近くの石光寺に残る「染の井」がその井戸である。姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであったと、なります(・・;)
こっちからだと仁王さんが見えない(^_^;)(笑)
当麻寺は、法号は「禅林寺」で山号は「二上山」になります(⌒0⌒)/~~
創建時の本尊は弥勒仏(みろくぶつ)(金堂)であるが、現在信仰の中心となっているのは当麻曼荼羅(本堂)だそうです(・・;)
宗派は真言宗と浄土宗の並立となっているそうで、開基は聖徳太子の異母弟・麻呂古王とされるが、草創については不明な点が多い見たいです( ̄▽ ̄;)
當麻寺は、奈良時代 - 平安時代初期建立の2基の三重塔(東塔・西塔)があり、近世以前建立の東西両塔が残る日本唯一の寺としても知られるそうですよ(・・;)
また東京のフォロワーさんが行きたがるかも知れませんね(≧▽≦)(笑)
車とは撮れませんが(^_^;)(笑)
今回は3月30日(月)に奈良県葛城市當麻町の當麻寺(当麻寺)の仁王門前で桜とバックに撮りました(⌒0⌒)/~~