コペンの幸せは自分自身で見出す物で他人から与えられる物では有りません!最高だね!・貧乏しても心❤️の貧乏人には成りたく無いですね!最高だね!・人は人!自分が納得出来る生き方をしましょう最高だね!・楽しく心❤️豊かに過ごしましょう!最高だね!・人生は楽しんだ者勝ち🏅ですよ!最高だね!に関するカスタム事例
2024年08月19日 19時53分
1945年生まれの少年です、身体は老いても心と気持ちは少年です!よろしくお願いします🏍🚗💕🙇♂️ 毎日の日々を大切に‼️ 一時、一時を楽しく有意義に過ごす事、 一生で二度と来ない日々です、🎵❤🎶💕🙇 MAXスピードの独り言です! 自己中!自己満足!身勝手!投稿です!よろしくお願いします!💕😊❤️🎶🙇♂️🚗 人は人!人それぞれです!他人を中傷!否定する物では有りません!
おはようございます!
本日も楽しく都内走り楽しんで来ました!
19歳で田町に有るお菓子屋に就職して!
営業車で都内を走り回りました!
当時はカーナビなど無く!
建物!景色!交差点のお店等で道を覚えて!
走りました!
初めて行く所は前の日に地図を広げて!
道順を決めました!
59年間!都内を走って居ますが今はカーナビ無しでは走れなく成りました!
カーナビはセットすると方向が出て来るので船のコンパス🧭と同じ様に!
目的地に直線に近い走り楽しんで居ます!
今回の投稿で写真を見て都内のどの辺りが分かる人は!
都内走りのベテランですね!
僕も皆さんの投稿を拝見して居て!
自分の知って居る所投稿されると!
同じ場所走ったな?と思い出します!たわい無い!
身勝手な年寄りの冷や水投稿に成りますが!
少しの間!お付き合いください!
よろしくお願いします!
都内走り楽しんで来ました!
遊び車のコペン!
買い物用のモコ!
仕事車のハイゼット!
どんな車でも!
運転!
走りは楽しいですね!
車は運転を楽しむ物だと思います!
車を操作して操る楽しさ!
最高だね!
昨日と同じ赤羽台で一休み!
百日紅と夏空!
百日紅と夏空!
百日紅と夏空!
百日紅に青い空と白い雲!
良いね!イイね!いいね!
最高だね!
今日も一日!
最高に楽しみました!
我が家に帰って!
色々楽しみますね!
たわい無い日常の事柄の日記の様な投稿に成りますが!
少しの間!お付き合いください!
よろしくお願いします!
昔は簡単に済ませる事を朝飯前と言いました!
今朝!本当に朝飯前に!
ステッカーを作って!
張り替えますね!
出来上がったので貼りますね!
貼る前に庭の掃き掃除🧹を楽しみますね!
綺麗に成りました!
今回のステッカー!少し長くしました!
左右比べて見ると👀左の新しく貼ったステッカーの方が長いの分かりますか?
右も新しいステッカーを貼り替えました!
左貼り替え!
右も次いでに張り替え!
良いね!イイね!いいね!
最高だね!
昨夜雨が降ったんですね!
朝飯前に撫で撫で拭き拭きしますね!
次いでにコペンも拭き拭き!撫で撫で楽しみますね!
ハイゼットトラック🚚も今日走り楽しませてくれるので拭き拭き!撫で撫でして置きますね!
家内のお買い物用!
モコ!
綺麗に成りました!
遊び車のコペン!働き物のハイゼット!も朝飯前に綺麗になりました!
朝飯を食べて薬を💊を飲んで走り楽しみますね!
都内走り楽しみますね!
皆様の知って居る所走るかな?
都内は渋滞は付き物です!
時にはのんびり楽しんでしまいます!
白山通り!
思い出が沢山有る後楽園!
語り出すと長くなるのでやめて置きますね!
此処が此処が二重橋!
記念の写真を撮りましょうね!
戦後!GHQ本部!第一生命ビル!
このビルで昭和天皇がマッカーサーと会って!
自分の命入りません!この戦争の責任は自分に有ります!
日本国民は食べる物もなく餓死寸前です!
どの様な処罰も受けます!
日本国民を助けてくださいと頼んだそうです!
何処の国でも戦争に負けるとトップは逃げて仕舞うそうです!
自分の命はどうでもイイですが国民の命を救って下さいの言葉に
感銘を受けたそうです!マツカーサーは国民の数を上増しして!
食料を日本に供与したそうです!
1938(昭和13)年 渡辺仁・松本与作
本社屋である東京・日比谷の「第一生命館」は、昭和13年(1938)に渡辺仁・松本与作の共同設計で建設されました。
終戦後、昭和20年(1945)に連合国軍総司令部(GHQ)庁舎として接収され、マッカーサー総司令官は東京に進駐した当日に、都内を車で視察し、複数あった候補の中からこのビルを選んだといわれています。第一生命館では、現在でもマッカーサー総司令官室が保存されています。 (※通常、一般公開はしておりません)
平成7年(1995)に「第一生命館」は、隣接する「農林中央金庫有楽町ビル」と一体化させた上で中間に高層階部分を増築し、「旧名称:DNタワー21(第一・農中ビル)」として改装されました。その為フロアの高さが異なり、低層部分=本館の8階部分のS階が新館の6階と繋がってます。外装は花崗岩を主とし、装飾を排したシンプルなモチーフの力強いデザインでまとめられています。一体化した農林中央金庫有楽町ビルも渡辺の設計でした。
第一生命日比谷ファーストは戦前最後の現存する大規模建築として、東京都選定歴史的建造物に選定されています!
数寄屋橋!〒100-0006 東京都千代田区有楽町2丁目5
有楽町!日劇!不二家!銀座森永!和光!三越!帝劇!
思い出が沢山有ります!
国家議事堂前!
三宅坂!〒100-0001 東京都千代田区千代田1 内堀通り
先方に見えるのが最高裁判所です!
三宅坂小公園!〒102-0092 東京都千代田区隼町4−3
が有ります!
四ツ谷駅!
19歳の時!
彼女が麹町弘済会ビルに居たので!
四ツ谷駅で待ち合わせしてデート❤️を楽しみました!橋桁だけが昔のままです!
水分補給しますね!
先方に代々木ビルが見えます!
新宿駅!南口!偉い変わり様です!
お客様!留守だったので!玄関先に置いて来ました!
お客様とは連絡済みです!のんびり!
走りを楽しみながら帰りますね!
環七!一本道で我が家に帰ります!帰って!
自分の好きな事して楽しみますね!
帰ってカレー🍛ライスを食べたいので少し🤏お買い物しますね!
チョコと買っただけで3,500円消えました!
早速!家に帰ってカレー作りです!
今回はカレーミックスで作って見ます!
カレー!出来上がりました!
昼は野菜炒めにしますね!
タップリ野菜取りますね!
昼は野菜炒めのみにしますね!
美味しくいただきました!
昼飯も食べた事だし車弄りしますね!
ボンド止め剥がれて居るので補修します!
固定して接着させます!
固形Waxで磨いて見ました!車磨きも楽しみの内ですね!
皆様も大いに!何事も楽しんでくださいね!
部分的に拭くと面白いですね!
青い空と白い雲!写り込みました!
固形Waxの威力!
流石です!
ピカ✴️🌟ピカに成りました!
ワックスがけすると映り込みが綺麗に成りますね!
ハードトップも磨いて置きますね!
手で塗り込みました!
再塗装車なので元が悪いので限界ですね!
右側も磨きました!
カバーウエス洗濯しました!
勿論手洗いです!
綺麗になったウエスでライト磨きしますね!
ライト磨きもやり出すと奥が深いです!
少し🤏ましに成りました!
右側のライト勿論!磨きました!
今日も楽しく過ごす事が出来ました!
感謝ですね!
夕飯は勿論!
僕が手塩にかけて作ったカレー🍛ライスです!
とても美味しいカレーライスに成りました!
何時も!何時も!愛❤️変わらずのお付き合い!
ありがとうございます!
感謝いたします!
旧GHQ本部跡!
昭和天皇・マッカーサー会談の「事実」
戦後六十回目の八月十五日が近づくにつれて、自ずと想起されるのは、終戦前後に示された昭和天皇の御聖徳である。昭和生まれの日本人として、記者は「終戦のご聖断」「マッカーサーとのご会見」「終戦後のご巡幸」はしっかりわが子らに伝えたいと常々願っている。言うまでもなく、これらのご行動に脈打つ「捨て身」のご精神により、戦後の日本と日本人は救われたと思うからだ。
ところが、である。来年から使用される中学校の歴史教科書で、昭和天皇のご事績を記しているのは扶桑社のみである。他の大部分の教科書には、「昭和天皇」のお名前自体が出てこない。お名前は出てきても、悪意が感じられるものもある。
とりわけ唖然とさせられたのは、東京書籍である。「占領と日本の民主化」という項目に「マッカーサーと昭和天皇」と解説した写真が新たに載っている。腰に手をやって構える開襟シャツにノーネクタイのマッカーサーの隣にモーニング姿で直立不動の昭和天皇が並んでいる、お馴染みの写真である。昭和二十年九月二十七日、天皇が初めてマッカーサーを訪問された際に写されたものだ。
この写真が当時、全国民に大きなショックを与えたことはよく知られている。これを見た歌人の斎藤茂吉は日記に、「ウヌ!マッカーサーノ野郎」と記し、また内務省は不敬に当たるとして、各新聞に発表を控えさせた(GHQの指令で九月二十九日公表された)。東京書籍の教科書は、肝腎のご会見の中身には何も触れないで、GHQの宣伝臭の強い問題写真だけを掲載したのである。
一方、扶桑社の教科書は、ご会見の中身をこう記している。「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。
さらに、「私は大きい感動にゆすぶられた。(中略)この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」という『マッカーサー回想記』の有名な一文も載せている。
かかる重大な史実を扶桑社以外の教科書が記述しない真意は測りかねるが、『マッカーサー回想記』が伝える戦争の「全責任を負う」との天皇のご発言については、その信憑性を疑う向きもあるのは事実である。
その主な原因は、昭和五十年に児島襄氏が公表した「御会見録」である。九月二十七日の会見に同席した通訳官が記したというこの「御会見録」には、マッカーサーが伝えたような天皇のご発言がなかった。もともと児島氏は天皇の戦争責任を否定する立場から、ご発言の信憑性に疑問を発していたのだが、これで児島氏の疑念はいよいよ深まった。
さらに三年前、それとほぼ同一の「公式記録」を外務省が公開するに至り、マッカーサー発言を「作り話」と否定したり、「天皇はむしろ国民に責任を転嫁しようとした」という声さえ上がる始末となったのだ。
結論からいえば、天皇が戦争の「全責任を負う」と述べられたのは事実であり、この「捨て身」のご精神によって、戦後の日本と日本人は救われたことは間違いない!