フーガの氣都倭既神社・もうこの森(茂古の森)・中臣鎌足の腰掛け石・気津別命は物部氏の人物に関するカスタム事例
2019年05月25日 07時49分
フーガに乗って6年半になりました(_ _) ええ年こいて未だに車いじり止めれません(^_^;) 匍匐前進で進化していきたいと思うので( ̄▽ ̄;) ヨロシクお願いします(_ _) 注)基本来るものは拒まず去るものは追わずですが(^_^;) 1度も投稿の無い人は受けませんので(>_<) (お礼のコメント入れられないので)(^_^;) 1度投稿してからフォロー頂けたら助かります(⌒0⌒)/~~ (お礼のコメント入れられるので)(^_^;)
おはようございます(⌒0⌒)/~~
今回は5月21日(火)前回の続きで神社⛩️の裏手をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~
上から目線の斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
場所は奈良県高市郡明日香村上(かむら)地区になります(⌒0⌒)/~~
神社⛩️の名前は同じく氣都倭既(けつわき)神社⛩️になります(⌒0⌒)/~~
真おちり(笑)(⌒0⌒)/~~
波動砲みたいな後光が(・・;)
手水の奥の四角い石が中臣鎌足が腰を掛けた石と言われています(⌒0⌒)/~~
以前に散歩の時に説明しましたが(⌒0⌒)/~~
この氣都倭既神社⛩️付近一帯が『もうこの森(茂古の森)』の通称があります(⌒0⌒)/~~
中臣鎌足が蘇我入鹿を倒した時に入鹿の首が追いかけてきたので、板蓋宮から当地まで逃げて『もう追いかけては来ぬまい』と言ったことに由来する、という伝説があるそうです(⌒0⌒)/~~
鎌足を祀る談山神社⛩️との関わりが考えられるそうです(・・;)
上から上り勾配斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
祭神は気津別命(けつわきのみこと)です(⌒0⌒)/~~
正面上に少し見えるのが社殿になります(⌒0⌒)/~~
社殿は2つあり、もう一つは明治末年に合祀された春日神社になります(⌒0⌒)/~~
上からちょい斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
『姓氏録』左京神別の真神田曽弥連条に『神饒速日命の六世孫、伊香我色乎命の男、気津別命の後なり』とみえます。
これで、気津別命が物部氏の人物と判るそうです(・・;)?
斜めおちり(笑)(⌒0⌒)/~~
今回は5月21日(火)に奈良県高市郡明日香村上地区の氣都倭既神社⛩️の裏手側をバックに撮りました(⌒0⌒)/~~