CLSクラス クーペのspecialists☆・メルセデス・ベンツ・ヤナセ・メルセデスファミリー・フォルクスワーゲンに関するカスタム事例
2020年03月13日 00時07分
まいどご覧いただき、まことにありがとうございます🙌
1月4日以来、2ヶ月ちょっとぶりに出動💨
日付変わって本日3月13日は、㈱ヤナセ二代目社長、会長の故・梁瀬次郎さんの命日であります。
この方なくて、今日の日本国内に於けるメルセデス・ベンツの高級車としての確固たる地位は築けなかったといえるでしょう。
メルセデスかベンツか❔
メルセデス・ベンツを、女性の名前である「メルセデス」ではなく。ドイツ的で重厚な響きである「ベンツ」と呼ぶことにしたのは、彼の梁瀬次郎さん。
1985(昭和60)年のテレビCMより。
まだメルセデスベンツ日本が出来る前、ウエスタン自動車=ヤナセが輸入、配車権を持っていた頃。
カーグラフィック誌増刊号(復刻版)
では「ベンツ」ではなく「メルセデス」と呼ぼうと広げたのは誰か❔
まずは1962(昭和37)年創刊の「カーグラフィック」誌。
自動車評論家の故・徳大寺有恒さんが「メルツェデス」と表記していたのはわりと有名。
私もリアル中坊の頃はマネしてそう呼んでました😁
1987(昭和62)年にメルセデスベンツ日本が出来てからは、日本でも「メルセデス」と呼んで下さいと広めています。
以前触れた、メルセデスベンツ日本(以下、MBJと表す)立ち上げに際し、ヤナセから20名出向し、面白いことに半々でヤナセへ戻った人、MBJ残留を希望した人と分かれた人たちのトップ。
山岸秀行さんは「成江 淳」のペンネームで自動車評論家としても活躍されてました。
シュテルン系ネットワークを作ったのは、元ヤナセの方です‼️
佐分利 一さんのインタビュー記事より。
ベンツともうひとつ、「ワーゲン」も。
「フォルクスヴァーゲン」ではなく「フォルクスワーゲン」としたのも梁瀬次郎さん。
ビートル をみれは、皆「ワーゲン」だと分かるまで浸透しました。
1985年版「外国車ガイドブック」より。
現行Aクラスのデビュー時の「Hi Mercedes!」で、日本でも大分メルセデスという呼び方が浸透してきました。
駄菓子菓子❗これだけ素晴らしいクルマを日本中へ広めた梁瀬次郎さんと、その社員の方へのリスペクトを込めて、私はこれからも「ベンツ」と呼びます👍
それでは皆さんごきげんよう🌚